林彪
出生1907年12月5日
清 湖北省黄岡
死去1971年9月13日
モンゴル
職業軍人、政治家
各種表記
簡体字林彪
繁体字林彪
ピン音L?n Bi?o
発音転記リンピャオ
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林彪(りんぴょう)は中華人民共和国の政治家、軍人。中華人民共和国元帥。湖北省黄岡出身。
目次
1 経歴
1.1 共産党入党
1.2 八路軍
1.3 指導者に
1.4 軍の実権を掌握
1.5 林彪事件
2 再評価
3 こぼれ話
4 関連項目
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主な出来事
抗日戦争 ? 国共内戦 ? 中ソ対立
大躍進政策
文化大革命 ? 林彪事件
改革開放
四五天安門事件
六四天安門事件
人物
毛沢東 ? 周恩来 ? 朱徳
劉少奇 ? 華国鋒 ? ?小平
林彪? 江青? 胡耀邦
趙紫陽 ? 江沢民 ? 李鵬
朱鎔基 ? 胡錦濤 ? 温家宝
理念
マルクス・レーニン主義
毛沢東思想 ? ?小平理論
4つの基本原則 3つの代表
地域
中国 ? 華北 ? 東北
華東 ? 華中 ? 華南
西南 ? 西北
中華人民共和国の行政区分
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清国の湖北(現在の湖北省)で生まれ、中学卒業後1923年に中国社会主義青年団、1925年には黄埔軍官学校に入り、中国共産党に入党。卒業後、国民革命軍第12師葉挺独立連隊で小隊長・中隊長を勤める。1927年の南昌蜂起に参加し、井崗山で毛沢東に合流し、長征にも参加した。労農紅軍第四軍軍団長、紅軍大学校長などを勤めるなど、英雄的な指揮官として名を馳せた。
抗日戦争では八路軍115師を率い、山西省で遊撃戦を指揮。1939年には頭部に負った戦傷の治療のためソ連に行く。この時の治療が原因でモルヒネ中毒になる。1942年延安に戻り、中央党校副校長となる。第二次世界大戦後に勃発した中国国民党との間の国共内戦では、東北野戦軍司令員、第四野戦軍司令員として活躍した。
1949年の中華人民共和国成立後、中央人民政府委員、中南軍区司令員、党中央軍事委副主席に選出。1949年末、モルヒネ中毒症の治療目的で再度訪ソ。朝鮮戦争が勃発すると、毛沢東から中国人民志願軍の司令官に指名されたが、病気療養を理由に辞退。彭徳懐が指揮を取った。ただし、林彪が育てた精鋭部隊が活躍している。1955年に十大元帥の一人となり、朱徳、彭徳懐と並ぶ軍事指導者となった。