松竹歌劇団
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松竹歌劇団(しょうちくかげきだん)は、宝塚歌劇団OSK日本歌劇団と並ぶ日本の三大少女歌劇のひとつとして、かつて存在した劇団。SKDとは、劇団名であった「松竹歌劇団」(Shochiku Kageki Dan)の略称。
目次

1 概略

1.1 年表


2 特徴

2.1 年間の公演


3 主なミュージカル作品

4 出身者

5 関連項目

6 外部リンク

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概略

東京を代表するレビューを主とした歌劇団。浅草国際劇場を本拠地とし、「西の宝塚・東の松竹」とも呼ばれ、戦前・戦後を通し一時代を築いた。

1928年10月12日 東京松竹楽劇部が発足したのを機に、翌年から正式に発足する。

戦後、国際劇場の大舞台を最大限に利用した「屋台崩し」や15間の舞台にずらりと並んだラインダンス「アトミックガールズ」、精鋭団員8名で構成された妖艶かつ華麗なダンス「エイト・ピーチェス」、本物の水を大量に使用した大滝のセットなど見る者全てを魅了した舞台は東京名物ともなった。定期公演の一部は必ず日本舞踊や日本の地域の祭りをフィーチャーした舞台が組み込まれ、外国人観光客にも好評だった。

1970年代に入ると娯楽の多様化などに伴い、本拠地・浅草と共に斜陽化。宝塚歌劇のような恒常的な女性ファンも付かなくなり、次第にはとバスの観光客で糊口を凌ぐようになっていった。1978年には「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」作品中に登場し、知名度の上昇をはかった。

しかし既に毎年多額の赤字を出しており、1981年に国際劇場とのフランチャイズ契約を打ち切る。翌1982年の劇場閉鎖に前後してミュージカル劇団に転身を試みるが、ミュージカルとしての完成度は低く失敗に終わっただけでなく、従来のレビューのファンをも失う結果となった。1990年の「東京踊り」をもって、62年に及ぶレビューの歴史に幕を下ろす。本格的にミュージカル劇団への再編を試みるが、退団者が激増して松竹も運営の継続を断念。1996年6月30日を持って突如解散となる。解散公演の機会も無い突然の解散であり、16人の最終メンバーが銀座博品館で自主公演「FROM SKD」を行なった。

解散から1年後の1997年には、解散時のメンバー西紀佐江子を代表としたOGらによって新たに薔薇笑亭SKD(バラエティSKD)が組織され、レビューの継承と新人育成を目的に、現在まで継続的に活動を行っている。一方、元トップスター・千羽ちどり、高城美輝、明石薫、銀ひ乃らを中心としたSTASも1992年より活動を続けており、後継団体が統一されていないのが現状である。


年表

1928年10月12日 東京松竹楽劇部が発足。12月の一足早く発足した松竹楽劇部(のちのOSK)の東京公演の応援出演からスタートし、翌1929年11月の浅草松竹座での公演から正式に活動を開始。次いで新宿松竹座にも出演した。

1930年4月 恒例の「東京踊り」公演を浅草松竹座と帝国劇場で開始。名古屋松竹座へも出張公演を開始。メンバーも月を重ねる事に増加し、東京一の大レビュー団に成長する。

1930年9月 水の江滝子が髪型を刈り上げ、「男装の麗人」が登場。多くのファンを魅了する。

1930年10月 松組・竹組の二組制になる。

1931年1月 梅組・桜組を新設し、四組制になる。

1932年7月 松竹少女歌劇部(略称・SSK)に改称。

1933年6月 待遇改善を巡り争議が起こる。(桃色争議

1933年7月 松竹本社の直轄となり、松竹少女歌劇団となる。松竹少女歌劇学校を新設。

1934年9月 本拠を新宿第一劇場に移す。

1937年7月 本拠を浅草国際劇場に移す。

1940年1月 国際劇場は単独興行を打ち切り、映画の封切りに歌劇の併演を行うアトラクションシステムを採用。

1944年3月 戦時体制の強化に伴い、国際劇場が閉鎖されまた退団者も相次いだため、解散。
残留者により「松竹芸能本部女子挺身隊」が組織され、各地の慰問に派遣。翌1945年には「松竹舞踊隊」の名で浅草大勝館等のアトラクションに出演するなどして凌いでいた。

1945年10月 松竹歌劇団(略称・SKD)に改称の上、復活。浅草大勝館で公演を行う。

1947年11月 国際劇場が復興。

1950年11月 松竹少女歌劇学校が松竹音楽舞踊学校に改称。歌舞伎座別館を教室とした。

1951年3月 「東京踊り」に「アトミック・ガールズ」が登場。

1953年6月 「さよならターキー」公演を行う。

1954年3月 松竹音楽舞踊学校、東京劇場4階に移転。

1954年12月 初の海外公演をタイバンコクで行う。

1956年3月 エイト・ピーチェス誕生。

1957年6月 大阪松竹歌劇団(OSK)が松竹の手を離れる。(この時までSKDとOSKは姉妹関係で、合同公演などもあった。)

1957年12月 東南アジア公演を行う。

1958年11月 沖縄公演を行う。(当時の沖縄はアメリカの施政下にあったため、海外公演扱い。)

1959年7月 「夏のおどり」で本物の水を使用した大瀑布のセットが登場。

1960年7月 「夏のおどり」より郷土芸能を舞台に採り入れる。

1962年9月 「秋のおどり」で屋台くずしが登場。

1962年4月 ハワイ出張公演を行い、この年より海外公演が定期的に行われるようになる。

1966年1月 「春のおどり」と三月公演の「東京踊り」を統合して、「東京踊り」を一月公演とする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki