東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう、英語:Bombing of Tokyo in World War II)は、第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた東京に対する一連の大規模な空襲。
東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが「東京大空襲」と言った場合、特に規模が大きい1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多い。太平洋戦争に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に大きな被害を与えた空襲である。
目次
1 空襲の経緯
1.1 1945年3月10日以前の空襲
1.2 3月10日の空襲
1.2.1 被害
1.3 5月25日の空襲
2 大規模な実験
3 日本軍による迎撃
4 米軍にとっての空襲
5 その後
5.1 戦争犯罪
5.2 記録
5.3 慰霊
6 空襲を免れた地区
7 空襲により犠牲になった著名人
8 東京大空襲訴訟
9 関連項目
10 参考文献
11 脚注
12 外部リンク
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1945年3月10日以前の空襲空襲を行ったB-29戦略爆撃機
1942年4月18日にアメリカ軍によるドーリットル空襲が行われ、東京にも初の空襲があった。1944年7月、サイパン島などマリアナ群島をアメリカ軍が制圧し、ここが日本本土に対する空襲の基地となった。同年11月24日、軍需工場である北多摩郡武蔵野町(現在の武蔵野市)の中島飛行機工場に対する初の戦略爆撃による空襲が行われた。それ以降、空襲が続き、1945年1月27日には有楽町・銀座地区が標的になり、有楽町駅は民間人の死体であふれた。
この頃の爆撃はレーダー照準を用いた高度精密爆撃であったが、爆撃失敗も多かったため、後に夜間低空爆撃へと変化していった。
焼けこげた遺体の山。死者・行方不明者は8万人(民間の調査では10万人)以上と言われている。(石川光陽撮影)母親と思われる遺体は子供を背負って逃げていたため、背中は焦げていない(石川光陽撮影)鎮火後の街の風景(石川光陽撮影)
3月10日の大空襲は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているとして、町工場が立ち並ぶ下町の市街地とそこに生活する市民そのものを攻撃対象に行なわれた低高度夜間爆撃である。アメリカ軍の参加部隊は第73、第313、第314の三個航空団が投入された。
1945年3月9日夜、アメリカ軍編隊が首都圏上空に飛来。22時30分(日本時間)、ラジオにて放送中の軍歌を中断して警戒警報発令された。同編隊は房総半島沖に退去して行ったため、警戒警報は解除される。ここで軍民双方に大きな油断が生じた。その隙を突いて、9日から10日に日付が変わった直後(午前0時8分頃)に爆撃が開始された。B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前0時7分に深川地区へ初弾が投下され、その後、城東地区にも爆撃が開始された。午前0時20分には浅草地区でも爆撃が開始されている。火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れた。