村岡兼造
不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

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日本の政治家
村岡兼造
むらおか かねぞう
生年月日1931年8月27日(77歳)
出生地秋田県本荘市
出身校慶應義塾大学経済学部卒業
前職村岡建設社長
所属政党自由民主党
称号・勲章勲一等旭日大綬章
経済学士(慶應義塾大学
本荘市名誉市民
世襲の有無無
親族(政治家)村岡敏英(二男)
公式サイト ⇒日歯1億円献金の真相
元内閣官房長官 村岡兼造

第62代内閣官房長官
内閣第2次橋本改造内閣
就任日1997年9月11日
退任日1998年7月30日
第65代運輸大臣
内閣第2次海部改造内閣
就任日1990年12月29日
退任日1991年11月5日
第50代郵政大臣
内閣宇野内閣
就任日1989年6月3日
退任日1989年8月10日
衆議院議員
選挙区旧秋田県第2区→
秋田県第3区
当選回数衆9回
就任日1972年
退任日2003年
秋田県議会議員
当選回数2回
就任日1967年
退任日1972年
 ・編・歴 

村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年8月27日 - )は、日本政治家。元衆議院議員(9期)。勲一等旭日大綬章秋田県本荘市(現・由利本荘市)出身。
目次

1 概要

2 略歴

2.1 経歴

2.2 政歴


3 関連項目

4 外部リンク

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概要

秋田県議会議員を経て、1972年第33回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。当初は小沢一郎側近として知られていたが、1992年経世会竹下派)分裂の際は、反小沢の急先鋒となり、小渕恵三を後継会長に推す。その後は、小渕派幹部として、内閣官房長官自民党総務会長など要職を歴任したが、次第に同じ派の野中広務との確執を深める。

内閣官房長官時代には、純秋田弁による定例会見の内容を記者が聞き取れない故、「今の部分をもう一度お願いします」が定番に。今でも地元では語り草になっている。

2003年自由民主党総裁選挙にて橋本派は藤井孝男を擁立したが、村岡は橋本派の会長代理であり藤井の兄貴分でありながら藤井ではなく森派の小泉純一郎の支持に回ったために、野中に「毒まんじゅうを食らった」と揶揄された。

小選挙区移行後の総選挙では御法川英文コスタリカ方式を取っており、2003年の第43回衆議院議員総選挙では比例区に回る予定であった。しかし、選挙前に御法川が死去したことによりコスタリカ方式が解消されたと判断し、村岡は小選挙区で出馬する。ところが、御法川側が反発して長男の御法川信英を擁立し、弔い合戦という形になった。村岡は落選し、政界引退に追い込まれた。

2004年9月には、日歯連闇献金事件で、平成研究会橋本派)の元会計責任者の証言により収支報告書不記載の首謀者として、政治資金規正法違反(不記載)で在宅起訴される。村岡は「幹部会でヤミ献金の話が出たことはなく、1億円については報道で初めて知った」と全面無罪を主張。2006年3月30日、第一審の東京地方裁判所川口政明裁判長)は無罪判決を言い渡した。しかし、2007年5月10日の第二審の東京高等裁判所(須田ッ裁判長)は判決を取り消し、禁固10ヶ月・執行猶予3年の逆転判決が言い渡された。2008年7月14日、最高裁(泉徳治裁判長)は上告棄却の決定をし、有罪判決が確定した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki