李登輝
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李登輝


中華民国第8-9代総統
任期:1988年1月13日 ? 2000年5月19日

出生:1923年1月15日(85歳)
大日本帝国台湾台北州 淡水郡 三芝庄 埔坪村(現台北県三芝郷
政党:無所属
台湾団結連盟の精神的指導者)
配偶:曽文恵

李登輝
職業学者政治家
各種表記
簡体字
繁体字李登輝
ピン音L? D?nghu?
和名表記りとうき
発音転記リー・テンフェ
ラテン字Lee Teng-hui
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李登輝(り とうき、1923年大正12年)1月15日− )は中華民国政治家農業経済学者。元中華民国総統1988年 - 2000年)。拓殖大学名誉博士。宗教プロテスタント長老派。日本統治時代に使用していた名は「岩里政男」。

蒋経国の死後、その後継者として中華民国総統、中国国民党主席に就任し、中華民国の民主化・本土化を推進した。中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾澎湖金門馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張、その後さらにこの国のことを「台湾中華民国」と呼ぶようになった。北京政府との内戦状態の一方的終結宣言は、内戦を理由に存在し続けてきた治安法「動員戡乱時条款」を廃止させ、政治の「民主化」を推進させることとなる。また、総統在任中経済発展についても大きな成果を上げている。

総統職と国民党主席を退任した後は、「台湾」と名前の付いた初めての政党「台湾団結連盟」を自ら中心となって結成し、「台湾独立」運動の事実上の指導者と考えられている。
目次

1 経歴

1.1 少年時代

1.2 大学時代

1.3 アメリカ留学

1.4 政界進出

1.5 総統時代

1.5.1 総統代行(1988年〜1990年)

1.5.2 第8期総統(1990年〜1996年)

1.5.2.1 「万年国会」解消

1.5.2.2 総統直接民選


1.5.3 第9期総統(1996年〜2000年)

1.5.4 外交・両岸関係


1.6 総統引退後


2 評価

3 訪日問題

4 人物

4.1 文学・思想

4.2 エピソード


5 略歴

6 主な著書

7 関連人物

8 脚注

9 外部リンク

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経歴


少年時代

1923年1月15日、台北州淡水郡三芝庄(現在の台北県三芝郷)埔坪村の「源興居」で李金龍と江錦の次男として出生した。兄は2歳年上の李登欽(日本名:岩里武則)であり、日本統治時代にフィリピンにて日本軍人として参加し戦死している。このほか弟の李炳男がおり、こちらは貿易業に従事していた。

父・金龍は警察官であり、経済的に安定した家庭環境により幼少の頃から教育環境に恵まれていた。父の転勤にしたがって登輝は6歳から12歳までの間に汐止公学校、南港公学校、三芝公学校、淡水公学校と4度の転校を繰り返した。淡水公学校卒業後は私立台北国民中学(現在の大同高級中学)に入学したが、1年後の1938年には淡水中学校に転校している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki