李明博
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李明博(イ・ミョンバク)
???

李明博
大韓民国第17代大統領
任期:2008年2月25日 ?

出生:1941年12月19日
日本国大阪府大阪市平野区
政党:ハンナラ党
配偶:金潤玉

李 明博(イ・ミョンバク、1941年12月19日 - )は、韓国政治家で、現第17代大統領日本大阪府出身。日本領時代の日本名は月山明博(つきやま・あきひろ)(-1945年)[1]だった。元ソウル市長。本貫は慶州李氏。号は「一松」(イルソン、??)。
目次

1 概要

2 来歴

2.1 年譜


3 人物

4 主な政治的主張

4.1 対日姿勢

4.2 朝鮮半島大運河構想

4.3 英語教育


5 語録等

6 エピソード

7 外部リンク

8 脚注

9 関連項目

//


概要

現代建設社長、国会議員(ハンナラ党)などの要職を歴任。

2002年ソウル特別市市長に就任し、都市改造政策等を行った。

2007年12月19日施行の大韓民国大統領選挙に出馬し、対立候補を圧倒的大差で破り、悲願の当選を果たした。

2008年2月25日、第17代大韓民国大統領に就任し、5年間の政権を正式に発足させた。


来歴

李明博
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李明博
各種表記
ハングル:???
漢字:李明博

平仮名
(日本語読み仮名)りめいはく

片仮名
(現地語読み仮名)イ・ミョンバク
ラテン文字転写:Lee Myung-bak
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1941年大阪府 中河内郡加美村(現:大阪市 平野区)に生まれる。両親共に韓国人とされる。父親は、現在の京阪牛乳(株)の前身であった島田牧場で酪農関係の労働に従事し家族を養っていたという。第二次世界大戦後に、家族で慶尚北道浦項へ引き揚げた。

当選後に朝鮮日報などに掲載された「一代記」によれば、暮らしは非常に貧しく、父親は牧場で、母親は果物を売って生計を立てていたほか、李自身も小学校時代からポン菓子マッチなどを売っていた。軍基地の鉄条網の前でのり巻きや蒸しパンを売り、憲兵に殴られたこともあるという。学校へ弁当を持って行けず水を飲んで空腹を満たした。中学校時代は栄養失調に倒れた事もあったが、卒業時の成績は全校2位だった(一番低い時でも3位)。家が貧しかったために高校への進学を諦めていたが、中学校の教師が母親を説得し定時制商業高等学校に進学。高校卒業後、ソウル梨泰院に家族全員で移った。そこで李は「金がなくて中退したとしても、高卒よりは大学中退のほうがましだ」として、清渓川の古本屋で参考書を買い大学受験に挑戦、肉体労働をして学費を貯め、1961年高麗大学校商学部経営学科へ進学した[2]。大学在学中に兵役を務めたが、気管支拡張症により除隊となった。

1963年に高麗大学校商学部学生会長になった翌年、同大学校総学生会長代行となる。朴正煕政権下、日韓基本条約締結に向けての日韓会談反対闘争を主導、第6次日韓会談を中止させる(6・3事態)。これにより国家内乱扇動の容疑で逮捕され、最高裁で懲役3年・執行猶予5年(西大門刑務所に6ヶ月服役)の判決を受けた。

1965年に大学を卒業した後は、学生運動の経歴が祟って就職難に陥り、就職問題を解決するため朴大統領に手紙を送って、社員が数十人という零細企業だった現代建設に入社。強盗から金庫を命がけで守ったことで鄭周永に気に入られる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki