朱鎔基
ウラ写メ交換掲示板
■18歳以上「入口」■

[Wikipedia|▼Menu]

中華人民共和国

中華人民共和国の歴史

組織集団
中国共産党 ? 人民解放軍

主な出来事
抗日戦争 ? 国共内戦 ? 中ソ対立
大躍進政策
文化大革命 ? 林彪事件
改革開放
四五天安門事件
六四天安門事件

人物
毛沢東 ? 周恩来 ? 朱徳
劉少奇 ? 華国鋒 ? ?小平
林彪? 江青? 胡耀邦
趙紫陽 ? 江沢民 ? 李鵬
朱鎔基 ? 胡錦濤 ? 温家宝

理念
マルクス・レーニン主義
毛沢東思想 ? ?小平理論
4つの基本原則 3つの代表

統治機構
全国人民代表大会
中華人民共和国国務院

地域
中国 ? 華北 ? 東北
華東 ? 華中 ? 華南
西南 ? 西北
中華人民共和国の行政区分
この欄を編集

朱 鎔基(しゅ ようき、ピンイン: Zh? R?ngj?, 1928年10月1日 - )は、中華人民共和国第9代国務院総理(首相)(在職:1998年3月 - 2003年3月)。



略伝

中華民国長沙(現在の中華人民共和国湖南省長沙)に生まれる。先祖は明王朝の開祖朱元璋だと伝えられているが、真相は不明。5歳のとき両親を失い、奨学金を得て苦学した。1947年清華大学電気系電気製造課程に入学、国共内戦終結後の1949年10月に中国共産党に入党している。

1951年大学を卒業して東北人民政府工業部に入り、1952年には中央に抜擢されて、1952年強力な権限をもつ国家計画委員会に所属した。しかし1958年反右派闘争で右派の烙印を押されて党を追放、下放を命じられ、長期間労働改造に従事し、農業の傍ら工場に勤務し、付属する専門学校で教鞭をとった。

1978年にようやく名誉回復され復党し、国家経済委員会入りした。1982年9月の第12回党大会で中央委員に選出される。1987年中共上海市委員会副書記、1988年上海市長、1989年天安門事件を受けて、党総書記として北京に転出した江沢民の後任の上海市委員会書記と累進。上海では外資導入と汚職の取り締まりに辣腕を振るった。?小平によって、1991年国務院副総理(副首相)に、1992年に中央委員から三段跳びで政治局常務委員に抜擢される。1993年には中国人民銀行総裁を兼務し、当時問題となっていたインフレを押さえ込むことに成功。1998年3月から2003年3月まで江沢民国家主席の下で5年にわたって国務院総理に在任した。


評価

朱鎔基は清廉で決断力と指導力に富む政治家であり、その大胆な経済改革は国内外から高く評価されている。その豪腕ぶりから、海外のメディアからは「経済ツァーリ」「中国のゴルバチョフ」と呼ばれた。直截的な発言家で、形式主義を嫌い、政敵を作ってでも必要な経済改革を推進するという強い意志の持ち主であり、中国国内では畏敬の念を持たれ「朱鎔基が怖れるのは妻の労安さんだけ」といわれた。その一方、政治面では高度経済成長を通じて共産党の独裁を維持することを積極的に唱えるなど保守派としての顔も世界に見せ、民主活動家から批判を受けた。


メモ

2000年の10月15日のTBSの『筑紫哲也 NEWS23の特別版』(司会は筑紫哲也、録画である)にてタウンミーティングに参加、出演したことある。このとき「私の対日政策が弱腰だと、国務院に批判のメールが殺到して、夜も眠れないことがある」と発言した(この部分は放送はされなかった。「中国はなぜ「反日」になったか」清水美和(よしかず)、文春新書)。

1989年天安門事件では「北京で発生したことは歴史の事実」と発言したとされる。

先代:
李鵬国務院総理
1998年 - 2003年次代:
温家宝
カテゴリ: 中華人民共和国の政治家 | 湖南省出身の人物 | 1928年生

更新日時:2008年7月19日(土)11:24
取得日時:2008/07/23 12:57


ウラ写メ交換掲示板
■18歳以上「入口」■

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:9178 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen