木村和司
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木村 和司
名前
愛称カズシ、ミスター・マリノス(初代)
カタカナキムラ カズシ
ラテン文字KIMURA Kazushi
基本情報
国籍 日本
生年月日1958年7月19日(50歳)
出身地広島市南区
身長168cm
体重64kg
選手情報
ポジションMF/FW
利き足右足
代表歴
1979-1987 日本54 (26)



Template(ノート 解説)サッカー選手pj

木村 和司(きむら かずし、1958年7月19日 - )は、広島市南区大河出身のサッカー選手サッカー解説者ポジションMF(攻撃的MF)又はFW(ウイング)。
目次

1 人物・プレースタイル

2 来歴

3 エピソード

4 所属クラブ

5 個人成績

6 獲得タイトル

6.1 日産自動車サッカー部時代

6.2 横浜マリノス時代


7 代表歴

7.1 出場大会など

7.2 試合数


8 外部リンク

9 脚注

10 関連項目

//


人物・プレースタイル

高校や大学、日産加入当初はウインガーとしてプレーしていたが、1983年に同じウイングを専門とする水沼貴史の入団をきっかけに、加茂周監督によって攻撃的MFにコンバート。以降、ゲームメーカーとして中盤に君臨し日産黄金時代を築く原動力となった。水沼やラモス瑠偉(読売クラブ{後のヴェルディ川崎})らと共に日本サッカー冬の時代を支えた選手の一人であり、「日産の背番号10と言えば木村和司」とまで言わしめた程の存在である。1983年1984年、二年連続日本年間最優秀選手(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)、さらに1989年も同賞受賞。三度の受賞は釜本邦茂7度に次ぐ杉山隆一と並ぶ史上2位。1984年アシスト王、アシスト数12はJSL記録。

現役時代はフリーキックの名手としても知られていた。その正確なボールコントロールと鋭い変化から『魔術師』の異名で呼ばれ、日本リーグ、国際試合で数々の名場面を作り上げた。特に1985年ワールドカップメキシコ大会最終予選のホーム韓国戦(その試合は1対2で韓国に敗れ、ワールドカップに行けなかった。)において、40メートル手前からみせたフリーキックは、80年代の日本サッカーにおける屈指の名シーンとして伝説化しており、現在でもサッカー番組でフリーキックが特集される際には、必ずといっていいほど紹介されている。出身地の広島を拠点とする中国新聞では「フリーキック自由自在」というコラムを設けていた。

前述のとおり背番号10番と言えば木村と言われるほどであり、本人も10番にはかなりのこだわりを持っている。しかしJリーグが開幕して間もない頃は、リーグ戦では現在のように固定番号制度が採用されていなかった為、たとえ木村であってもスタメンで出場していなかった試合では14番(ごく稀に15番)を付けていた。本人は14番で試合に出るのが嫌だったと言う。この間も天皇杯については、同大会の規定で、リーグ戦とは別に背番号が登録されるため、サブでも10番を付け続けた。


来歴

大河FC[1]から県立広島工業高校に進学[2]。攻撃的サッカーで名を馳せた県工の中心選手として1975年度の高校選手権でベスト4の成績を残した。その後明治大学政経学部を経て、1981年に高校の先輩・金田のいる日本サッカーリーグ日産自動車サッカー部(後の横浜F・マリノス)へ入部した[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki