旭天鵬 勝
四股名旭天鵬
本名太田 勝
生年月日1974年9月13日(33歳)
出身モンゴル・ナライハ出身
身長191cm
体重160kg
所属部屋大島部屋
成績
現在の番付東前頭2枚目
最高位西関脇
生涯戦歴646勝610敗22休(99場所)
幕内戦歴416勝439敗15休(58場所)
賞敢闘賞5回
データ
初土俵1992年3月場所
入幕1998年1月場所
備考
金星2個(貴乃花1個、朝青龍1個)
2008年7月27日現在
表・話・編・歴
旭天鵬 勝(きょくてんほう まさる、1974年9月13日 - )は、モンゴル国ナライハ出身で大島部屋所属の現役大相撲力士。本名は太田 勝(おおた まさる)、モンゴル名はНямжавын ЦЭВЭГНЯМ (Nyamjyab Tsebeknyam:ニャムジャブ・ツェベクニャム)。最高位は西関脇(平成15年7、11月場所、平成16年5月場所)。身長191cm、体重160kg、長身で懐の深さをいかした取り口である。得意手は右四つ、寄り。愛称は「テンホー」。
目次
1 来歴
2 略歴
3 エピソード
4 幕内での場所別成績
5 主な力士との幕内対戦成績
6 主な成績
7 三賞・金星
8 関連項目
9 外部リンク
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1992年に旭鷲山、旭天山らとともに来日し大島部屋に入門、初のモンゴル出身力士となる。もともと相撲や柔道の経験はほとんどなく、中学時代はバスケットボールをしていた。
来日して半年後、稽古の厳しさや日本の食文化等に馴染めず、ともに来日した5人とモンゴル大使館に駆け込むが、モンゴルの実家まで来た師匠大島に「今に相撲はモンゴルの時代になる」と説得され、部屋へ戻った。
来日後の3カ月間は通訳がついたものの、ほとんど辞書を使わずに流暢な日本語を修得。その経験を買われて、2000年5月30日に、「 ⇒学習ストラテジー概論:効果的な言語習得のために」というテーマで、早稲田大学日本語研究教育センター教授の宮崎里司と対話形式で授業を行ったことがある。その模様は、同教授の著書「外国人力士はなぜ日本語がうまいのか」(日本語学研究所、2001年、ISBN 4625683181)でも紹介されている。
略歴
1992年(平成4年)3月場所 - 初土俵
1996年(平成8年)1月場所 - 幕下で7戦全勝、優勝同点、決定戦ではこの場所幕下付出でデビューした熊谷(後の海鵬)に敗れている。
1996年(平成8年)3月場所 - 新十両
1998年(平成10年)1月場所 - 新入幕
2000年(平成12年)1月場所 - 幕内で、初の二桁(11勝)勝利を収め、初の敢闘賞受賞。
2002年(平成14年)1月場所 - 新小結
2002年(平成14年)9月場所 - 貴乃花から初金星を挙げる。このころから上位に定着し始める。
2003年(平成15年)3月場所 - 朝青龍がモンゴル力士初の横綱となった場所に、3日目に掛け投げで朝青龍を破り横綱昇進後、初の黒星をつけ、旭天鵬自身2個目の金星を挙げる。西前頭筆頭で9勝し、2度目の敢闘賞受賞。 *2003年(平成15年)5月場所 - 三役(小結)で初の勝ち越し(10勝)を収め、2場所連続3度目の敢闘賞受賞。
2003年(平成15年)7月場所 - 新関脇
2003年(平成15年)9月場所 - 東前頭2枚目で10勝し、4度目の敢闘賞受賞。再び翌場所関脇に復帰。
2004年(平成16年)1月 - 日本国籍取得を申請
2005年(平成17年)5月12日 - モンゴル国籍を離脱
2005年6月22日 - 旭天山と共に日本国籍を取得し帰化。モンゴル出身力士としては初めて。
2006年(平成18年)1月 - モンゴル政府よりスポーツ功労賞受賞。同賞は、オリンピックのメダリストなどに贈られるもの。大相撲力士では、旭鷲山、朝青龍に続いて3人目。
2006年(平成18年)5月23日 - 婚約を発表
2006年(平成18年)7月場所 - 幕内連続出場660回を記録。現役力士では土佐ノ海と並び1位となる。
2007年(平成19年)5月場所 - 場所前に人身事故を起こし出場停止処分を受ける。これにより現役力士では単独1位となっていた幕内連続出場は720回で途切れることになる。関取に昇格して初の休場。又翌7月場所は平成11年(1999年)3月以来、8年ぶりの十両陥落となった。
2007年(平成19年)7月場所 - 8年ぶりの十両で12勝し、優勝決定戦巴戦で惜しくも岩木山に敗れたが、十両では格の違いを見せつけ、翌場所の幕内復帰を決めた。
2007年(平成19年)9月場所 - 幕内復帰の場所で、自身幕内で初めてとなる12勝を挙げ、千秋楽まで横綱の白鵬と優勝争いをし、4年ぶり5回目の敢闘賞を受賞。