早稲田大学ラグビー部
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早稲田大学ラグビー蹴球部
原語表記早稲田大学ラグビー蹴球部
愛称ワセダ
クラブカラー臙脂(エンジ)と
創設年1918年
所属リーグ関東大学ラグビー対抗戦グループ
代表者佐藤英善
監督中竹竜二
公式サイト ⇒公式サイト

Template(ノート ■解説)

早稲田大学ラグビー蹴球部(わせだだいがくらぐびーしゅうきゅうぶ、Waseda University Rugby Football Club)は、関東大学ラグビー対抗戦グループに所属する早稲田大学ラグビー部。一大学の部でありながら、日本国内で随一の人気の高さを誇る[1]。日本代表に幾多の選手を送り、かつ代表の戦術理論に多大な影響を及ぼしてきた。



目次

1 概要と歴史

2 タイトル

3 慶明2校との戦績

4 荒ぶる・北風

5 主な選手

6 在籍した選手

7 所在地

8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

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概要と歴史

1918年11月7日、創部。慶應京都三高同志社に次ぐ日本で4番目のラグビーチームであった。創部当時の名称は「早稲田大学蹴球部」。部訓?緊張・創造・継承?

1927年オーストラリア遠征が行われる。当時オーストラリアでは2-3-2システムのセヴンフォワードをベースとする展開戦法が行われていた。この遠征によりフォワードのカバープレー(スクラムブレイク後のフォワード-フランカー・NO.8-のオープンプレーへの参加)を学び、その後早稲田ラグビーを語る上で、しばしば用いられる「ゆさぶり戦法」を編み出すこととなる。まさしく部の方向性に大きな影響を与えた遠征であった。この遠征で敵のウォークライに対抗して「佐渡おけさ」を踊り、敵地では好評だった。同年、慶應から初勝利。

柯子彰・川越藤一郎等バックスに名プレーヤーを配し、早稲田バックス理論の集大成とも言うべき川越理論により黄金期を迎える。この頃世界に先駆けシャローディフェンス完成。この戦前の川越理論は戦後の大西理論と比肩すべき傑出したもので、事実大西自身に多大な影響を与えた。後年大西鐡之祐は昭和10年前後の早稲田のラグビーを部史上最もレベルの高かった時期と述べている。

ラグビーが敵性スポーツと見なされたことから弾圧を受けたが地下壕にボールや用具を隠し、戦後の復興に備えた。1950年、大西監督は野上・川越・柯子彰の協力の下、エイトとゆさぶりの研究に着手-この年をもってエイトFWにおける早稲田式シャローデイフェンスがほぼ確立される。同年3・3・2フォワードとホイール作戦により2連覇達成。戦後1950年代に黄金時代を築き、この頃から「荒ぶる」が歌われる。50年代末から60年代に入り低迷。大西鐡之祐監督が復帰し低迷にピリオドを打つ。有名なサインプレー「カンペイ」はこの第二期大西監督時代の1962年に生まれた。

1969年?1977年には、関東大学対抗戦で60連勝(2分を含む)・対社会人を含めた公式戦36連勝を達成。同時期に大学選手権13年連続決勝進出・2連覇3回、日本選手権優勝3回を記録、史上最大の黄金期を迎えた。

強力フォワードを擁した「縦の明治」に対して、軽量フォワード・バックス中心の展開ラグビーは「横の早稲田」と言われた。自陣ゴール前で見せる厳しく粘り強いディフェンスは「ゴール前3m の奇跡」と言われる早稲田のお家芸である。必殺のタックルで相手プレイヤーを倒し、一気に攻守を逆転する様は「アタックル」(アタックとタックルの掛け合わせの造語)と呼ばれ、これも早稲田のお家芸とされる。

1981年早明戦の連敗を阻止すべく大西監督3度目の登場。ローバーシステム採用・ダブルライン導入。(なおダブルラインの理論そのものはすでに昭和47年の著書「ラグビー」で紹介されている。)絶対不利と目された早明戦に勝利。国立競技場入場者数の新記録を樹立。対抗戦優勝時に「荒ぶる」を歌う。

1995年低迷中のチーム再建を果たすべく木本監督就任。OB会の要請もあり、当初長期的にチームの指導に携わる予定であったが、癌により急逝。早明対抗戦にける劇的な逆転勝利は強烈なインパクトを与えた。ダブルライン、戦略的なドライビングモールの活用(ペネトレーティングモール)、パント攻撃に見られるキックとゆさぶりの調和、ライン全体でのディフェンスラインの突破などまさしく、早稲田らしい「ゆさぶり」攻撃の復活と言えよう。以降チームは試行錯誤を重ね、清宮監督の登場によりFW重視へと決定的な転換期を迎える。早稲田ラグビー史におけるまさしく?最後の「ゆさぶり」?であった。

90年代には低迷したが、2002年度には13年ぶりの大学選手権制覇を果たした。この頃から早稲田のフォワード平均体重は100kgを超え、体格面において他大学・強豪トップリーグチームはもちろんインターナショナルレベルに到達する。(参考:2007年W杯フランスのFW平均体重は104kg,早稲田のFW平均体重は103kg)同時に強力FWを軸にトライを量産。「横の早稲田」から「縦の早稲田」へと変貌を遂げる。フィジカル面・戦略面での大きな転換期であるといえよう。

2007年度対抗戦を終えて、対抗戦7連覇・50連勝中。24年連続41回目の大学選手権出場を決めた。第44回大学選手権では39年ぶりに決勝で慶應義塾大学と対戦。26?6で、2年ぶり14回目の優勝を果たした。


タイトル

関東大学ラグビー対抗戦 - 32回(関東大学ラグビーリーグ戦 と分裂後[1967年以降]は20回)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki