旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷
裁判所のロゴ
設置1993年5月25日
国旧ユーゴスラビア
所在地 オランダ・ハーグ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度04分04秒 東経4度21分13秒 / 北緯52.0679度 東経4.3535度 / 52.0679; 4.3535
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(きゅうユーゴスラビアこくさいせんぱんほうてい、International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia, ICTY(アイシーティーワイまたはイクティ))は、国際連合の安保理決議827によって1993年5月に設置された、旧ユーゴスラビア紛争の戦後処理を目的とした国際司法機関。正式名称は1991年以後旧ユーゴスラビアの領域内で行われた国際人道法に対する重大な違反について責任を有するものの訴追のための国際裁判所(International Tribunal for the Prosecution of Persons Responsible for Serious Violations of International Humanitarian Law Committed in the Territory of the Former Yugoslavia since 1991)。旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所ともいわれる。
2017年12月21日に閉廷式典が開かれた[1]。合計161人が訴追(うち90人以上はセルビア人)され、有罪判決が下った受刑者はICTYと協定を結んだ欧州14カ国で収監された。召喚された証人は約4650人、起訴状や判決文は約250万ページに達した。今後は、1000人以上いた職員が半分以下に減って残務処理を行い、ラドヴァン・カラジッチら2被告の控訴審は国連の国際刑事裁判メカニズム(英語版)が引き継ぐ[2]。 ハーグ(オランダ) ICTYは主に裁判局、検察局、そして書記局で構成され、およそ1200名のスタッフが働いていた。 裁判局は、裁判官とその補佐たちが含まれる。この法廷には3つの裁判部と1つの上訴裁判部がある。裁判部の裁判長は、上訴裁判部の裁判長も兼ねている。2005年よりイタリアのファウスト・ポカール(Fausto Pocar
設立の目的
1991年以後の旧ユーゴスラビア領域内で行われた、民族浄化や集団レイプなどの深刻な国際人道法違反について責任を有する者を訴追・処罰する。
旧ユーゴスラビアにおける和解を促進することにより平和再建に貢献する。
所在地
設置根拠
1993年5月25日、安全保障理事会決議[3]
国際連合憲章第7章の下に行動する安全保障理事会により、非軍事的措置の一環として、安全保障理事会の補助機関(国連憲章第29条)という形で設置された。
旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所規程[4]
組織
書記局は、法廷での記録、文書の翻訳、被告人や証人に対する通訳、広報だけでなく、経理や人事など、ICTYの運営を担当している。また、公判中に拘留される被告人に関する事柄や、弁護のための費用のない被告人に対する補助なども担当している。現在の書記長は2001年からオランダのハンス・ホルティウス (Hans Holthuis) が務めている。それ以前は、1995年から2000年までオランダの (Dorothee de Sampayo Garrido-Nijgh) が、1994年2月から同年12月まではオランダのテオ・ファン・ボーヴェン (Theo van Boven) が務めた。
検察局は犯罪捜査や証拠収集、起訴等を担当している。現在の検察局を率いている検察官はベルギーのセルジュ・ブラメーツ (Serge Brammertz) である。それ以前は、ベネズエラのラモン・エスコヴァル・サロム (Ramon Escovar Salom) が1993年から1994年まで、南アフリカのリチャード・ゴールドストーン (Richard Goldstone) が1994年から1996年まで、カナダのルイーズ・アルブールが1996年から1999年まで、スイスのカルラ・デル・ポンテが1999年から2007年までとなっている。カルラ・デル・ポンテは2003年までルワンダ国際戦犯法廷でも検察官を務めていた。 拘禁刑(死刑なし)
管轄
領域的管轄…旧ユーゴスラヴィア領域内
時間的管轄…1991年1月1日以降
人的管轄…個人(自然人)
事項的管轄(対象犯罪)
ジュネーブ諸条約の重大な違反となる行為
戦争法規・慣例の違反
ジェノサイド罪
人道に対する罪
刑罰
動向
2005年12月8日、デル・ポンテ主任検事は、150人以上のセルビア人を殺したジェノサイド罪や人道に対する罪で訴追され手配されていた、クロアチアのアンテ・ゴトヴィナ元将軍を12月7日(スペイン現地時間)、スペイン領カナリア諸島のホテルで逮捕したと発表した。ゴドヴィナは8日にいったん首都マドリードに移送されたのち、本法廷が所在するハーグに拘引されて公判が開かれた。
2006年3月11日、被告であった元ユーゴスラビア連邦共和国大統領スロボダン・ミロシェヴィッチが、獄中で死亡した。
2008年8月、元スルプスカ共和国大統領・ラドヴァン・カラジッチがセルビアで逮捕され、ICTYに移送された。
2009年2月26日、ミラン・ミルティノヴィッチ
2011年5月26日、元スルプスカ共和国軍の参謀総長ラトコ・ムラディッチの逮捕が、セルビア大統領ボリス・タディッチにより発表された[6]。
2011年7月20日、ゴラン・ハジッチ(英語版)元クライナ・セルビア人共和国大統領が逮捕された、これにより訴追されたすべての人間が逮捕された[7]。
2012年にゴドヴィナ被告に無罪判決が下され、釈放された[8]。
2016年3月24日、ラドヴァン・カラジッチに大量虐殺の関与、投獄や人道に反する罪で禁錮40年を言い渡した[9][10]。
2016年3月31日、セルビア急進党党首ヴォイスラヴ・シェシェリに全ての罪状について無罪判決を言い渡した[11]。
2016年7月12日、ゴラン・ハジッチが脳腫瘍のため死去した[12]。
2017年11月22日、ラトコ・ムラディッチに終身禁錮を言い渡した[13]。これによりすべての被告の一審判決が出揃った。
2017年11月29日、元クロアチア防衛評議会司令官のスロボダン・プラリャクに懲役20年を言い渡した。