このページのノートに、このページの記述に関する質問があります。
日本赤軍(にほんせきぐん、Japanese Red Army 略称JRA)は、パレスチナに拠点を置いていた日本の新左翼系ゲリラ武装テロ組織。2001年に解散した。
目次
1 歴史
1.1 創設
1.2 テロ
1.3 壊滅
1.4 解散
2 主な事件
2.1 テルアビブ空港乱射事件
2.2 ドバイ日航機ハイジャック事件
2.3 ハーグ事件
2.4 クアラルンプール事件
2.5 ダッカ日航機ハイジャック事件
2.6 ジャカルタ事件
2.7 三井物産マニラ支店長誘拐事件
2.8 ローマ事件
2.9 ナポリ事件
2.10 板橋万引き事件
3 現在、指名手配されている元日本赤軍のメンバー
4 関連項目
5 文献
6 外部リンク
//
冷戦下の1971年2月26日に、共産主義者同盟赤軍派の「国際根拠地論」に基づき、海外にも運動拠点と同盟軍を持つ必要があると判断し、赤軍派の重信房子や元京都パルチザンの奥平剛士らがパレスチナへ赴き、同地で創設した。
創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」と称すなど、その名称さえきちんと定まっていなかったが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。1970年代から1980年代にかけて、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、一連のハイジャックや空港内での乱射事件などの無差別テロを起こし多数の民間人を殺害したことから、世界的に注目を浴びると同時にその残虐性が大きな非難を浴びた。
その後、冷戦が終結した1980年代後半から2000年代にかけて、その思想が完全に時代遅れとなった上に、イスラエルや西側諸国と対立していた政府や各国の反政府組織からの資金協力や活動提携が先細ったこともあり、丸岡修や和光晴生等の中心メンバーが相次いで逮捕され組織は壊滅状態に追い込まれた。
その上に2000年11月には、「最高指導者」の重信房子も潜伏していた大阪府高槻市で旅券法違反容疑で警視庁公安部によって逮捕される。
民間人を巻き込んだ無差別テロにより批判を浴びたことや、冷戦の終結などから他の政府や反政府組織からの協力、提携を得ることが不可能になったこと、その上、マルクスレーニン主義の敗北や冷戦崩壊という状況の変化を受けて、新たな若年層のメンバーの取り込みに完全に失敗した上に、「シンパ」の多くが老齢化したことで、2001年4月に重信房子は獄中から「日本赤軍としての解散宣言」を行ない正式に解散した。
なお、現在も設立当時からの支持者などを中心に、全国に「シンパ」がいるとみられているが、その多くは上記のように老齢化し次々に鬼籍に入っているため、年々その数は減ってきている。また、アメリカ合衆国国務省の対テロ調整局は、日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、現在は組織が壊滅し解散したために認定は解除されている。
1972年5月30日、奥平剛士、安田安之、岡本公三らがイスラエルのテルアビブのロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)の旅客ターミナルをチェコ製の自動小銃Vz 58と手榴弾で攻撃。ターミナルに居合わせた民間人ら100人以上を殺傷(死者24人)し、民間人を狙った無慈悲な無差別テロ事件として国際的な非難を呼んだ。当時はパレスチナ人によるテロ行為への警戒が厳しく、そのためPFLPは日本人による攻撃なら警戒されないだろうと考えて日本赤軍に攻撃を依頼したとされる。岡本公三が逮捕され、残りの2人は死亡した(自殺説と射殺説がある)。