日本製鐵株式會社(にほんせいてつかぶしきがいしゃ、英文社名 Japan Iron & Steel Co., Ltd. )は、かつて存在した日本の株式会社である。1934年に設立し、1950年に、「過度経済力集中排除法」により解体された。通称は日鐵(にってつ)。
目次
1 概要
2 年表
3 事業所
3.1 製鉄所
3.2 製鋼所
3.3 鉱業所
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日本製鐵株式會社は1934年(昭和9年)の製鉄大合同により設立された。過半数の株式を政府が保有する特殊会社であり、日本製鐵株式會社法により安価な鉄の供給を義務づけられるなど公共色が強い企業であった。
この製鉄大合同にはいくつかの背景がある。まず世界恐慌により生産費の高騰したこと、そしてその後の満州事変により軍需を中心として急速に景気が回復し需要が増大したこと、軍事上の要請により鉄鋼材料の自給が求められていたこと(銑鉄の完全自給は関税引き上げにより1932年に達成された)などである。そのため当時最大の製鉄所であった官営製鐵所は設備増設や、周囲の九州製鋼や東洋製鐵を委託経営するなど積極的な生産増強を進めていたが、官営であったため制約も多いという問題を抱えていた。
これらの背景から、製鉄業の大合同が財界などから強く求められるようになり、1924年(大正13年)12月に高橋是清農相により製鉄所合同調査委員会の設置が決定された。その後部分統合案など様々な紆余曲折があり、官営製鐵所と民間11社の合同を目的とした日本製鐵株式會社法が1933年(昭和8年)4月5日に公布され、 9月25日に施行された。そして協議が続いた後、1934年(昭和9年)1月29日に官営製鐵所・九州製鋼株式會社・輪西製鐵株式會社・釜石鉱山株式會社・富士製鋼株式會社・三菱製鐵株式會社の官民合同により日本製鐵株式會社が設立された。同年3月に東洋製鐵株式會社、1936年(昭和11年)に大阪製鐵株式會社が加わった。ここで、すでに官営製鐵所戸畑作業所となっていた東洋製鐵の合併が遅れたのは、官営製鐵所の借り上げ契約の更新時期が3月であったためと考えられる。また、大阪製鐵の参加が後になったのは他の合同協議を離脱した会社同様、資産評価を不服としたためである。
こうして、官営製鉄所の指導的役割をそのまま温存する形の合同が行われ、日本国内の鉄の供給のほとんどを日本製鐵が占めることになった。日本の勢力圏には他に昭和製鋼所があり、また後に1936年(昭和11年)に日本鋼管が銑鋼一貫体制となったものの、日本製鐵の解体まで圧倒的な独占体制は続いた。
戦時中、各製鐵所は執拗な爆撃により甚大な被害を受け、また燃料不足もあり多くの高炉が操業停止に追い込まれた。戦後、北朝鮮にあった兼二浦製鐵所はソ連軍に接収され、残る各製鐵所も原燃料の不足などで壊滅状態にあったものの、1946年(昭和21年)には八幡製鐵所での集中生産が再開された。
1950年(昭和25年)に、「過度経済力集中排除法」により日本製鐵は八幡製鐵株式會社・富士製鐵株式會社・日鐵汽船株式會社(現・新和海運株式会社)・播磨耐火煉瓦株式會社(現・黒崎播磨株式会社)に解体され、各製鐵所・製鋼所のうち八幡製鐵所は八幡製鐵株式會社、輪西製鐵所(後の室蘭製鐵所)、釜石製鐵所、広畑製鐵所および川崎製鋼所は富士製鐵株式會社が所有することとなった。
なお、1970年(昭和45年)に八幡製鐵株式会社と富士製鐵株式会社は再統合し、新日本製鐵株式會社となっている。
年表
1887年(明治20年)7月 - 釜石鉱山山田製鐵所(後の釜石鉱山釜石鉱業所)操業開始。
1901年(明治34年)2月5日 - 官営製鐵所操業開始。
1909年(明治42年)7月23日 - 北海道炭礦汽船輪西製鐵場(後の輪西製鐵輪西製鐵所)操業開始。
1916年(大正5年)11月 - 大阪製鐵の大阪製鐵所が操業開始。
1917年(大正6年)9月30日 - 九州製鋼株式会社設立。
1917年(大正6年)10月15日 - 三菱製鐵株式会社設立。
1917年(大正6年)11月1日 - 東洋製鐵株式会社設立。
1917年(大正6年)11月30日 - 富士製鋼株式会社設立。