日本社会党(にっぽんしゃかいとう、略称:社会、Social Democratic Party Japan、"SDPJ")は、かつて存在した日本の政党。
日本の政党
日本社会党
Social Democratic Party Japan(SDPJ)
成立年月日1945年
解散年月日1996年
解散理由新党結成のため
後継政党社会民主党
所在地〒100-0014
東京都千代田区永田町1丁目8番1号
政治的思想・立場社会主義
機関紙社会新報
国際組織社会主義インターナショナル
表・話・編・歴
目次
1 概要
2 歴史
2.1 結党から片山内閣へ
2.2 左右の分裂と総評・社会主義協会の結成
2.3 再統一と60年安保闘争・三池争議
2.4 構造改革論争と「道」の策定
2.5 停滞から低落へ
2.6 革新自治体と社会主義協会派の台頭
2.7 協会規制と「新宣言」
2.8 マドンナブームの盛り上がりと凋落
2.9 田邊執行部とPKO法案
2.10 細川連立内閣の誕生から村山内閣へ
2.11 社会民主党への改組と分裂
2.12 小政党への転落
3 その歴史的役割
4 歴代の日本社会党中央執行委員会・執行部役員表
5 日本社会党の政権ポスト
6 党勢の推移
6.1 衆議院
6.2 参議院
7 脚注
8 参考文献
8.1 社会党の文献
8.2 それ以外の文献
9 関連項目
10 外部リンク
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1945年、旧無産政党系の政治勢力を結集して結成されて以降約50年間活動を続けたが、1996年に後継団体たる社会民主党の結成に伴い解散した。
戦前の非共産党系の合法社会主義勢力が一同団結して結成された。前身の政党は主に、左派の労働農民党、中間派の日本労農党、右派の社会大衆党で、右派・中間派は民主社会主義的な社会民主主義観を、左派は修正マルクス主義的な社会民主主義観をもっていた。日本労農党には戦中、社会主義の実現を国家主義に求めて軍部に積極的に協力した議員が多かった。また社会大衆党も、戦時中反軍を貫いた議員が多かった一方で、その内実は極めてタカ派的なものだった。
結党当初、党名は「日本社会党」か「社会民主党」かで議論となり、日本語名を「日本社会党」、英語名称をSocial Democratic Party of Japanとすることで決着した。
後に左派が主導権を握るにつれ次第にJapan Socialist Party(JSP 訳:日本社会党)の英語名称が使われるようになった。その後再び右派の発言力が強くなり社会民主主義が党の路線となると、SDPJの英称を再確認するようになった。
労働農民党系、日本労農党系、社会大衆党系の3派の対立を戦前から引きずって、たびたび派閥対立を起こした。なお、日本労農党系は戦争に協力したとして、指導者の多くが公職追放され、結党当初は影響力を持つことが出来なかった。徳川義親侯爵など名望家を担ぐ思惑から、当初は委員長は空席とされ、初代の書記長に片山哲が就任した。