日本建築史
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日本建築史(にほんけんちくし)では、日本における建築の歴史を記述する。

住宅について詳しくは日本の住宅、神社については神社建築を参照。
目次

1 「日本建築史」の始まり

2 日本建築史の扱う範囲

3 日本建築の位置付けと特色

4 原始

5 古代建築

6 中世建築

7 近世建築

7.1 近世建築関連人物一覧


8 近代建築

9 現代建築

10 日本建築史の研究者

11 関連項目

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「日本建築史」の始まり

江戸時代から建築に対する有職故実的な研究は行われていたが、学問として成立するのは明治時代以降である(建築という用語自体、明治時代に造られたもの)。最初期の日本人建築家辰野金吾はロンドン留学の際に「日本の建築にはどのような歴史があるか」と聞かれて何も答えられず、自国の建築史研究の必要を感じたという。辰野の教え子、伊東忠太法隆寺が日本最古の建築であることを学問的に論じ、ここに日本建築史が第一歩を記した。1900年(明治33年)、パリ万博に際して岡倉天心を中心に『稿本日本帝国美術略史』が刊行されたが、建築の部門を任された伊東忠太は天心の美術史区分に大きな影響を受け、建築史の大枠を築いた。当時、廃仏毀釈で大きな打撃を受けた寺院建築の保護が課題となっており、関野貞は奈良・京都の主な建築を調査し、それらの建築年代をまとめていった。また、建築史学者と歴史家の間に法隆寺の建設年代に関する論争(法隆寺再建・非再建論争)が起こったが、現存する建物の様式論や、六国史などの文献研究はもとより、遺構調査など考古学の発掘成果も取り入れられるようになって、学問の深化が見られた。


日本建築史の扱う範囲

第2次世界大戦前までは古代・中世の社寺建築が研究の中心であったが、第二次世界大戦後は民家、江戸時代の社寺、明治以降の近代建築と次第に対象が広がっている(明治以降、旧植民地に日本人建築家の残した作品も対象になっている)。身近な街の古い建物にも関心が高まっており、例えば道端の祠のようなものでも、地域の歴史を物語るものとして評価されることがある。


日本建築の位置付けと特色

日本建築は朝鮮半島・中国からの影響を受けて発展してきた。また近代以降は西欧の影響を強く受けているが、日本の風土・文化に合わせた独自な展開も見られる。

柱・梁を基本構造とする日本建築と、煉瓦や石で壁を築いてゆく西洋建築は対照的な存在であり、20世紀のモダニズムの時代になると、近代建築の理念を先取りした点があるとして注目されるようになった。


原始

三内丸山遺跡

登呂遺跡

吉野ヶ里遺跡

発掘成果に基づき、復元されるものも多くなっている。縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡からは予想以上に高度な建築技術を持っていたことがうかがえる。


古代建築

法隆寺 西院伽藍東大寺法華堂(三月堂)平等院鳳凰堂

飛鳥様式


四天王寺法隆寺法起寺法輪寺

白鳳様式


薬師寺東塔

奈良時代


東大寺(法華堂、転害門など)、正倉院正倉、唐招提寺(金堂、講堂など)、法隆寺(夢殿など)

平安時代前期


室生寺金堂、醍醐寺五重塔など

平安時代後期


阿弥陀堂 - 平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂、富貴寺大堂

寝殿造

飛鳥奈良時代は、朝鮮半島や中国から建築技術を取り入れた時期である。仏教公伝(538年)以降、日本でも寺院建築が建てられるようになった。記録では577年に仏工・造寺工が百済から招かれた。588年から609年にかけて蘇我氏が築いた飛鳥寺奈良県高市郡明日香村。法興寺、元興寺とも)や593年聖徳太子創建とされる摂津国四天王寺(大阪府大阪市天王寺区。天王寺)が、日本最古の伽藍とされる(いずれも当初の建物は現存しない)。現存するものとしては法隆寺の西院伽藍、法起寺三重塔(ともに奈良県生駒郡斑鳩町)が最古のものである。法隆寺西院伽藍は、かつては聖徳太子の時代の建築と信じられていたが、近代における研究の進展の結果、670年の火災以後、7世紀末から8世紀初めの再建と考えられている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki