日本国皇帝(にほんこくこうてい)は昭和前期まで用いられていた天皇の称号の一つ、主として外交分野で使用された。
古くは律令の儀制令において、華夷(国内外)に対する文書では「皇帝」と表記することが定められていた。
明治初期、官民で作成された憲法案では「皇帝」と表記される例が多い。明治政府内では、1880年(明治13年)元老院が天皇に上奏した日本国国憲按では「皇帝」と表記されていた。翌年、岩倉具視が上奏した憲法大綱領では「天皇」と表記され、この後、政府内の憲法案は全て「天皇」と表記された。大日本帝国憲法でも天皇の称号を用いた。
もっとも、これにより公文書上「天皇」に統一されたわけではなく、その後も「日本国皇帝」と表記する公文書類が多数作成されていた。またこのほかに「大日本国皇帝」や「大日本帝国皇帝」といった表記も確認されている。
「日本国皇帝」の使用例は外交文書で最も多く見られるが、それ以外の外交とは関係の無い国内向けの公文書(例えば日本人向けの勲記、辞令等)においても「日本国皇帝」を発令者とするものが多数確認されている。
例えば千葉県松戸市の戸定歴史館に展示されている徳川家関連の文書では「日本国皇帝」の国内向け使用例(1903年徳川家達への貴族院議長の任命辞令等)を確認することができる。
公布された条約では、1935年12月21日公布の昭和10年条約第9号[1]まで「大日本帝国皇帝陛下」と表記されていたが、翌年5月11日公布の昭和11年条約第3号[2]から「大日本帝国天皇陛下」と表記されるようになった。両条約の間で条約上の呼称が「皇帝」号から「天皇」号へ移行した理由は不明。
明治以降の公文書類における用例
「台湾事件ニ付全権弁理大臣大久保利通ヲ清国ヘ遣ハスノ勅語」1874年(明治7年):「大日本国皇帝」( ⇒原文)
「清国ニ対スル宣戦ノ詔勅」1894年(明治27年):「大日本帝国皇帝」( ⇒原文)
「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅」1904年(明治37年):「大日本帝国皇帝」( ⇒原文)
「日韓議定書」1904年(明治37年):「大日本帝国皇帝」( ⇒原文)
「韓国ニ於ケル発明、意匠、商標及著作権ノ保護ニ関スル日米条約」1910年(明治43年):「日本国皇帝」( ⇒原文)
「韓国併合ニ関スル条約」1910年(明治43年):「日本国皇帝」( ⇒原文)
「独逸国ニ対スル宣戦ノ詔書」1914(大正3年):「大日本国皇帝」( ⇒原文)
「山東省ニ関スル条約」1915(大正4年):「日本国皇帝」( ⇒原文)
「南満洲及東部内蒙古ニ関スル条約」1915(大正4年):「日本国皇帝」( ⇒原文)
「戦争抛棄ニ関スル条約」1929年(昭和4年):「日本国皇帝」( ⇒原文)
脚注^ ⇒アジア歴史資料センター Ref.A03022011400 御署名原本・昭和十年・条約第九号・国際衛生条約
^ ⇒アジア歴史資料センター Ref.A03022066999 御署名原本・昭和十一年・条約第三号・猥褻刊行物ノ流布及取引ノ禁止ノ為ノ国際条約
(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
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更新日時:2008年8月18日(月)02:49
取得日時:2008/08/21 08:02