日本労働党(にっぽんろうどうとう)は、日本の共産主義政党。略称は労働党。
目次
1 概要
2 略史
2.1 結成の経緯
2.2 近年の動向
3 年表
4 外部リンク
5 関連項目
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概要
中央委員会議長:大隈鉄二
機関紙誌:『労働新聞』(月3回発行)、季刊『労働党』(年4回発行)
1966年10月、日本共産党が打ち出した「自主独立路線」に反発する党内中国派のグループが分派し、幾つかの親中派の党派を形成した。このうちの有力なグループの一つが1974年1月結成された日本労働党である。結成当初は毛沢東思想を積極的に掲げる極左冒険主義に近かったが、後に穏健化した。なお、他の新左翼党派と比較して初期の頃から積極的に選挙に候補者を立てて活動する傾向があり、現在では埼玉県川口市・上尾市、東京都荒川区・杉並区、福岡県古賀市・筑紫野市・筑後市・みやこ町、長崎県長崎市などに地方議員(但し公認候補ではなく、無所属議員)を抱えている。新左翼党派としては革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)と並び議員数は多い方。また神奈川県や福岡県の知事選挙などでは、法定得票を得ることがあった。日本ボランティア会などを組織する緑の党(三橋派)は、日本労働党青森県委員会から脱党したメンバーによるグループである。脱党は激しい対立を伴うものではなく、現在も両党間では友好関係が続いている。
1966年10月、日本共産党が「自主独立路線」を打ち出した。1967年3月、それに反発する党内中国派で日本共産党佐賀県委員である大隈鉄二が除名された。大隈は、「日本共産党 (左派)」など他セクトを経由し、1969年6月「日共革命的左派」を結成した。同時期に「日共革命左派神奈川県委」の反主流派が組織分裂を宣言して九州に向かい大隈の「日共革命的左派」に合流、組織は拡大する。なお、日本労働党が神奈川県や福岡県知事選挙に繰り返し候補者を立てる理由も、前身の組織の基盤であったことが影響している。1970年12月10日には党名を「日共革命左派九州党」に改称し、その後も九州のほか、関西、関東にも勢力を伸ばし、同年9月には全国委員会を結成した。1974年、全国組織となったため、「日共革命左派九州党」は発展的に解消され、「日本労働党」が結成された。
国政選挙では、中選挙区制時代にはしばしば独自候補を立てていた。候補者を立てていない選挙では日本社会党・社会民主党を支持していた。しかし、2005年の第44回衆議院議員総選挙では、「(社民党と新社会党は)かたくなに団結を拒んで」いることを理由に、党としては支持しないと発表した。
但し「個人の判断」として各党員は社民党を応援し続けている。また、たびたび社民・新社会両党の挨拶や声明、談話、広告などが機関紙に載せられており、旧社会党系と労働党の関係は現在も良好と言える。
日常の行動としては、民主党、日本共産党が主催者または重要な構成要員となっていない催し、集会、行動等(主に社民党、全労協系)に参加し、幟の保持、ビラ撒きを行っている状景がよくみられる。
神奈川県知事選では、1979年より山本正治を独自候補として立てていたが、2003年には独自候補擁立を見送り、飛鳥田一朗(医師、飛鳥田一雄の甥)を支持した(落選)。2007年も独自候補を立てず、自主投票。
年表
1974年(昭和49年)1月 - 日本労働党が結成される。
1974年(昭和49年)2月 - 機関紙『労働新聞』創刊。
1979年(昭和54年)4月 - 神奈川県知事選に独自候補を立て、19万票を得票。
1983年(昭和58年)4月 - 神奈川県知事選に独自候補を立て、36万票を得票。
1995年(平成7年)4月 - 神奈川・福岡県知事選に独自候補をたてる。神奈川で45万票を得票、福岡で7万票を得票。
1997年(平成9年)1月 - ウェブサイトを開設。
1999年(平成11年)4月 - 神奈川・福岡県知事選に独自候補を立てる。神奈川で31万票を得票、福岡で12万票を得票。
外部リンク
⇒日本労働党中央委員会
関連項目
日本の政治団体一覧
日本の政党一覧
カテゴリ: 日本の政治団体 | 日本共産党諸派 | 日本の新左翼 | 毛沢東思想
更新日時:2008年6月22日(日)02:57
取得日時:2008/08/25 18:40