旗本
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旗本(はたもと)とは、主として江戸時代徳川将軍家直属の家臣団のうち、石高が1万石未満で儀式などで将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格をもつものの総称。もとは戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、徳川時代のみの制度ではない。
目次

1 戦国時代の旗本

2 江戸幕府の旗本

2.1 概要

2.2 旗本の生活

2.3 旗本の役職


3 江戸幕府の旗本の定義

4 著名な旗本

5 関連項目

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戦国時代の旗本

戦国時代には、国人領主等の独立的軍団を構成している幕下層(家臣ではないが臣下の礼をとり軍事的に従属)とは別に、主君の指揮下に属する直属部隊の家臣を指す場合もある。とくに譜代の家臣を中心に編成され、戦闘時には、主君の本陣備を構成した。当時は、幕下の礼をとり家臣の立場にあったが領国経営では独立していた国人領主層の離合集散が当然のように行なわれていた背景から、主君からすれば、直属の旗本家臣団への信頼は極めて強く、国政にも中心的に関与したと見られる。例えば上杉謙信の家臣の千坂景親のように戦闘時に常に本陣周辺に配置されるため、華々しい戦果を残すことはあまりないが、戦国時代の家臣団の中枢を担うのは、この旗本家臣層にあったといっても過言ではない。


江戸幕府の旗本


概要

江戸時代の旗本は、三河から勃興した徳川氏の家臣が代表的である。ほかに北条武田今川の遺臣、大名の一族や、改易大名の名跡を継ぐ者、遠隔地の豪族で大名になりきれなかった名族、かつて戦国大名や、守護大名などであった赤松畠山別所、北条、富樫最上山名、武田、今川、大友織田金森滝川筒井土岐福島正則の嫡流、庶流の末裔などから構成されている。

石高が8,000石前後で大名待遇の家格を持つ「大身旗本」及び、徳川将軍家の本家筋に当たる松平郷松平家(420石)は、交代寄合と呼ばれた。

儀礼等を司る役目を負う吉良・畠山・今川・武田等の旧名門の家格出身者は家臣団とは別格の高家と呼ばれた。高家ははじめ吉良家など3家であったが、次第に増加して26家となった。高家は1,000石級の者が多く、家柄や官位に比して、家禄は少ないことが多い。高家肝煎は、10万石級の大名と同じ官位が与えられることもあったが、石高は最高でも5,000石未満であった。

御目見以下の家格の者は御家人と呼ばれた。


旗本の生活

旗本・御家人は武家諸法度により統制され、若年寄の支配下におかれた。江戸集住が原則で、交代寄合には知行所に陣屋が与えられ、一般には3,000石以上の旗本(寄合)には大名に準じた知行権(統治権)を有して死刑などの重刑裁判以外の行政権司法権を行使し、大部分を占めた500石以下は徴租権(年貢の納入)以外の知行権は幕府の代官または郡代に委任される事になっていた。幕府は基本的には領主である旗本が知行権を行使することを好まずこれを抑制する方針を取ったが、税収の確保や領内の不祥事は領主である旗本の責任とされるために、500石以下であっても自らの知行権を積極的に行使する旗本も存在していた。

俗に「旗本八万騎」と呼ばれたが、1722年の調査では総数約5,000人、御目見以下の御家人を含めても17,000人の規模であった。ただし、旗本・御家人の家臣を含めると、およそ80,000人になると言われている(これに対して10万石の大名に許された兵力は2,155人である)

旗本で、5,000石以上の者は、交代寄合を含み約100人。3,000石以上の者は約300人であり、旗本の9割は500石以下である。

なお、宝永年間の記録によれば、旗本の地方高(知行地を与えられていた者の総禄高)は275.4万石で全体の64%を占め、切米・蔵米・扶持受給が石高換算で153.4万石を占めていた。知行地は全国に広がっているものの、関東地方が全体の8割を占め、特に江戸のある武蔵国が全国の旗本知行地の21%、近隣の上総国が12.5%、下総国が11.0%を占めていた。

旗本は石高が低い割には軍役負担が大きく、また石高調整のために相給が行われる事が多く、極端な場合では13名の旗本が1村を分割知行するなどその支配は困難を極め、更に江戸集住の原則から知行取・蔵米取を問わず早くから消費者化が進んだ。幕府成立から30年後の寛永年間には早くも「旗本の窮乏化」が問題とされている。寛政の改革棄捐令の背景もこうした事情があった。

また、小禄や無役の旗本は将軍に拝謁の資格があったものの、実際に拝謁できたのは家督相続・跡式相続のときのみであった。

江戸時代初期には無頼化した旗本奴が存在し、男伊達を称して徒党を組み、市井の町奴と対立し、歌舞伎講談の題材にもなった。


旗本の役職

江戸では江戸城の警備や将軍の護衛を行う大番、文官である町奉行勘定奉行大目付目付などの役職についた。無役の旗本は3,000石以上は寄合、それ以下は小普請組に編入された。

旗本の最高の役職は江戸城留守居である。8代将軍吉宗が御三卿を創設してからは、その家老職も江戸城留守居に準ずる地位とされたが、3,000石級の旗本から抜擢されることも珍しくなかった。御三卿は江戸城内に屋敷を持ち、将軍家の家族として取り扱われたため、御三卿の家老は陪臣ではない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen