旅順虐殺事件
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旅順虐殺事件(りょじゅんぎゃくさつじけん)は、日清戦争における日本軍の旅順攻略の際に市内及び近郊で発生した、日本軍が旅順市民を虐殺した事件。日本の外交文書では「旅順口虐殺事件」、中国では「旅順大屠殺」、英語ではthe Port Arthur Massacre、またはthe Port Arthur Atrocitiesと言う。遼東半島
目次

1 背 景

2 事件の経緯

2.1 第一段階(11月21日午後〜夕刻)

2.2 第二段階(11月22日以降の三日ないしは四日間)

2.3 被害者数について


3 事件の露見

3.1 日本の新聞による勝利報道

3.2 欧米の新聞による告発報道

3.2.1 告発報道

3.2.2 告発の重点と特徴

3.2.3 マスコミ以外の事件把握について



4 政治問題としての旅順虐殺事件−明治政府の対応−

4.1 マスコミ対策

4.2 日本の弁明

4.3 軍への処分

4.4 事件の終息


5 簡易年表

6 参考文献

7 外部リンク

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背 景

1894年より朝鮮半島の覇権をめぐり日清戦争が勃発したが、軍備の優位など諸要因によって日本軍が戦況を有利に進めた。黄海の海戦勝利の後、10月に入るといよいよ清朝の国内に攻め入り、11月には旅順を陥落させんとした。当時遼東半島の先端に位置する旅順は、対岸の威海衛とならんで 北洋海軍(李鴻章の実質私軍)の基地となっており、それに加え清朝の海上輸送ににらみをきかすためには是非とも落とさねばならない要衝であった。

旅順攻略にあたったのは、大山巌率いる第二軍であった。11月18日、土城子という旅順近郊での戦闘では、秋山好古少佐の騎兵第一大隊が清軍と遭遇し、死者11名・負傷者37名を出すなど苦戦を強いられた。この戦いは後々大きな影を落とすことになる。しかし11月21日の攻撃では旅順の大部分を占拠するに至った。東洋のジブラルタルといわれた旅順の攻略は、大変な困難を極めるだろうという欧米側の予想を裏切る迅速さであった。ただ不平等条約改正を悲願とする日本は戦争冒頭よりこの戦争を「文明戦争」と呼び、清側の態度に関わりなく戦時国際法を絶対遵守することを国内外に宣伝してきたが、旅順占領後、自らこの言に背く事態を引き起こすこととなった。それがこの事件である。

なお、この第二軍には幾人か著名人も参加していた。たとえば軍医として派遣された森鴎外。そして事件直後には記者として国木田独歩が旅順の土を踏み、生々しい爪痕を目撃している。西洋画家として著名な浅井忠も新聞画家(新聞の挿絵を描く)として参加している。後に袁世凱の顧問となる有賀長雄は国際法顧問として参加し、戦後この事件や日清戦争そのものの正当化活動に深く関与している。


事件の経緯

この事件発生は大きく分けて二段階ある。すなわち占領直後とそれ以降である。


第一段階(11月21日午後〜夕刻)

午後二時、第二軍司令部は旅順陥落と判断し、第一師団所属で乃木希典少将率いる歩兵第一師団配下の歩兵第二連隊と同十五連隊第三大隊に市内掃討の任務を命じたが、この二つの部隊が事件第一段階時点での当事者となった。直接のきっかけはさきに触れた土城子戦後に日本軍死傷者に加えられた陵辱行為であった。鼻や耳をそがれた生首が道路脇の柳や民家の軒先に吊されているのを、二つの部隊が掃討の際に目撃し激昂したのである。大山巌は「我軍は仁義を以て動き文明に由て戦ふものなり」という訓令を発していたが、これ以後旅順の日本軍は文明とは反する敵討ち的感情にとらわれていくことになる。

なお、こうした清兵の死体損壊は、敵兵の首級や体の各部分を戦果の証拠とし、それに対し懸賞金を支払ったためであった。この事件の目撃者となった外国人記者は、首級に対し賞金が払われるのを見たと証言していることからもそれが分かる。

敵討ち的感情を宿したまま旅順市内に入り掃討作戦に二つの部隊は従事したが、そこでまたやっかいな事態に遭遇する。清兵が軍服を捨てゲリラ的戦闘をしたためである。兵士と住民との区別がつきにくくなり、「終に民家に闖入して兵士と覚しき年齢の男子は引出して殺戮するの止むを得ざるに至れり」という事態となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki