イエス関連項目
イエス・キリスト/史的イエス/メシア/救世主イエス・キリスト
新約聖書とイエスの歴史的受容
受胎告知
キリストの降誕
イエスの洗礼
荒野の誘惑
最後の晩餐
キリストの磔刑
キリストの墓
復活
キリストの昇天
聖遺物
新約聖書とイエスの歴史的受容(しんやくせいしょと いえすのれきしてきじゅよう)、この記事では、歴史的観点からみた「信仰のイエス」を描く。これは「史的イエス」とも異なり、またクリスチャンによるイエス像とも異なる。例えば、マタイがどのようにイエスを描き出しているか、そういうことが問題となる。
目次
1 新約聖書とイエス
1.1 イエス伝承
2 イエスの位置付け
3 関連項目
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新約聖書は、伝統的にイエスの言行を弟子たちが記録したものだといわれている。彼がもたらしたさまざまな「奇跡」が、彼がキリスト教において「救世主」「神の子」とみなされる大きな理由にもなっている。
さらに、キリスト教においてかれが「救世主」と見なされ通常の預言者と一線を画するもう一つの理由は、彼が神ヤハウェ(「主」)と人々との間にかわされた「契約」を「更改」したことによる。
ユダヤ教においては律法を守ることが絶対視されるが、キリスト教では律法を守れなかった者にも罪からの救いがあるとされる。これはイエスがみずからの身を十字架にかけることにより「贖罪(罪をあがなうこと)」を全人類のために果たしてくれたから、とキリスト教では教えているのである。そしてキリスト教では、「律法」の書であるユダヤ教の「聖書」を『旧約聖書』と呼び、イエスの「贖罪の業」を記した新しい契約の書を『新約聖書』と呼んでいる。
なお、結果的に彼の弟子達はユダヤ教から離れ独自の宗教を起こすことになるが、イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。
四福音書からのイエスの伝記の再構成は、19世紀間に様々に議論された問題だが、今日では、文書の記述の齟齬・矛盾から、少なくとも詳細なそれは不可能であるとされている。たとえば、マリアの懐胎とイエスの降誕・幼少期は、マタイによる福音書とルカによる福音書のみに記述されているが、父ヨセフの出身地や受胎告知の地も、そして天使の顕現の様も双方で異なり、またエジプト逃避や続く嬰児虐殺も、マタイ伝には記述があるがルカ伝にはなく、後者ではベツレヘムを発ち、ただちにガリラヤに移住したとされている。このように、イエス伝の詳細な記述は誤解を生むだけなので、ここではその素描をするに留める。各エピソードの詳細は、それぞれ独立の項目で扱うことにする。
ヨセフの許婚であったマリアは、ヨセフを知る以前に聖霊により身ごもった(受胎告知、処女懐胎)。ヨセフはマリアを娶り、男の子が生まれ、その子をイエスと名づける(降誕、三博士の礼拝、 神殿奉献)。イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカ伝によれば、大変聡明な子であったという(イエスの幼少時代)。
その頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで改悛を説き、そのしるしとして洗礼(またはバプテスマ)を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼(またはバプテスマ)を受ける(キリストの受洗)。そののち、霊によって荒れ野に送り出され、そこで四十日間断食し、また悪魔の誘惑を受けた(荒野の誘惑)。
荒野での試練を終えた後、イエスは、ガリラヤで宣教をはじめた。宣教活動のなかで、弟子を集め、ルカによれば、そのなかでも優れた12人の弟子を選び、特権を与えた。かれらは十二使徒と呼ばれる(山上の垂訓)。様々の地域で布教活動をした後、エルサレムに赴く(キリストの変容)。
神の子を自称したとされ、最高法院の裁判にかけられた後、ローマ帝国側に引き渡されて、反逆者として磔刑に処せられた(最後の晩餐、キリストの磔刑)。その後、十字架からおろされて埋葬されたが(キリストの墓)3日後に弟子たちの前に現れた(キリストの復活)。40日間、地上にあったイエスは弟子たちの前で天に昇っていった(キリストの昇天)。
キリスト教ではイエスをキリストであると考えるが、イエスの神性を巡る位置づけに対しては、教派によって考えが異なる。多くのキリスト教会では、三位一体説を支持し、「父なる神」「子なるキリスト」、「聖霊」の三位格は本質において同一のものであると考えるが、三位一体説を退け、キリストに神性を認めない教会もある。
イエスは、キリスト教の他にいくつかの宗教においても、なんらかの役割を果たしている。
ユダヤ教の主流派では、イエスをメシア(=キリスト)とは認めておらず、また預言者でもないとする。メシアはまだ現れていないとし、その来臨を待望している。