新宿西口バス放火事件
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新宿西口バス放火事件(しんじゅくにしぐちバスほうかじけん)とは、1980年8月19日に、新宿駅西口バスターミナルで起きた路線バス車両放火された事件
目次

1 事件の概要

2 事件後

3 手記・映画

4 同類の事件

5 外部リンク

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事件の概要

1980年8月19日午後9時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番線で、発車待ちのため停車中だった京王帝都電鉄(現:京王バス東)の運行する中野車庫行きバス日野RE100)の車内に、後部ドアから男が火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを車両後方へ投げ込んだ。

火は瞬時にして燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。

犯人は妻が長男を出産した翌年に精神病院に入院して離婚、子供を児童施設に預け、九州大阪静岡などを転々として、上京して現場作業員として働き、毎月子供に仕送りをしていた。事件当夜、駅前広場に通じる階段に座って酒を飲んでいたところ、会社員などにここから出て行けと言われてカッときて犯行に至った(実際は、雑踏の中でそのように言われたとされ、誰が言ったか、あるいは実際にそう言葉を発した人物がいたかは定かではない)。


事件後

犠牲者の中には、後楽園球場読売ジャイアンツヤクルトスワローズの試合を観戦した帰りの父親(40歳)と息子(10歳)もいた。この事件を聞いた後楽園球場と巨人軍が告別式に花を贈ったことや、王貞治が祭壇にサインボールを供えた(球団関係者を通じて送られた)ことが全国に伝えられた。

刑事裁判において検察側は犯人に死刑を求刑したが、東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。弁護側・検察側の双方が控訴したが、東京高等裁判所も一審判決を支持した。

弁護人安田好弘。事件を知った安田は 被告に自分を弁護人として選任するよう持ちかけた。死刑を望んでいた被告は断るも、被告の兄に選任され弁護人となり、無期懲役を勝ち取った[要出典]。しかし、犯人は無期懲役になったことに対し良心の呵責に苛まれることとなり、1997年10月千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。

現場となった新宿西口20番線は現在でも、京王バス中野車庫行きや中野駅行きが使用している。


手記・映画

この事件の被害者の1人、杉原美津子は事件後「生きてみたい、もう一度」という手記を出版した。これはベストセラーとなり、「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」のタイトルで映画化された。彼女は事件時、異性関係の悩みから自殺願望を抱いており、放火された際に逃げるのを躊躇したため全身80%火傷の重傷を負ったが、回復した。彼女は自らの希望で被告人に接見している。「もう一度やりなおして欲しい」とのことだが、通常は被害者は被告人と接見することはできないが、この時は例外的に認められた(なお、現在は場合により更生プログラムとして面会できる場合がある)。

更に、彼女の兄がバスが放火された時に偶然そばを通りかかった。兄の職業はカメラマンで、本能的に燃え広がるバスを撮影し、その写真は翌日の新聞にスクープとして大々的に報道された。だが、実の妹がその事件で重傷を負ったことを知った彼は、そのショックでカメラマンを廃業している。


同類の事件

深川通り魔殺人事件1981年6月17日

池袋通り魔殺人事件1999年9月8日

下関通り魔殺人事件(1999年9月29日

附属池田小事件2001年6月8日

大邱地下鉄放火事件2003年2月18日韓国大邱広域市

秋葉原通り魔事件2008年6月8日


外部リンク

新宿西口バス放火事件

この「新宿西口バス放火事件」は歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 日本の殺人事件 | 昭和時代の殺人事件 (戦後) | 日本の放火事件 | 戦後の事件 | 無差別殺人事件 | 1980年 | 京王電鉄バス | 歴史関連のスタブ項目

更新日時:2008年7月13日(日)02:37
取得日時:2008/07/22 18:21


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen