この項目では日本における戦後社会史・文化史上の新人類について説明しています。
生物学上の新人類についてはクロマニョン人をご覧ください。
ファミコン用ゲームソフトについては新人類 (ゲーム)をご覧ください。
漫画および特撮映画「イナズマン」に登場する架空の国家「新人類帝国」についてはイナズマンをご覧ください。
サイエンス・フィクション(SF)概念上の新人類については新人類 (SF)をご覧ください。
新人類(しんじんるい)とは、「新・人類」の意と「新人の類」の意を持ち、それまでの世代とは違った価値観等を持つ世代を指す。
目次
1 起源
2 言葉「新人類」へ後に込められた意味
3 マスコミなどから『新人類』と呼ばれた主な人物
3.1 様々なマスコミに取り上げられた著名人
3.2 『新人類図鑑』で取材された人物
4 関連事項
5 関連書籍
6 関連項目
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先行する概念として「共通一次世代」がある。国公立大学の入試制度が改められ1979年から大学共通一次試験(現大学入試センター試験)が開始され、このマークシート式の入学試験を経た大学卒業者が最初に新卒社会人となった1983年をピークに週刊誌の見出しとしてしばしば使われた。現役受験生はほぼ1960年代生まれであり、世代として括るのに都合がよかったと考えられる。
1984年、マーケティング情報誌の『アクロス』(パルコ刊)が最初に提唱している。
また、筑紫哲也が『朝日ジャーナル』編集長を務めていた時(1984年〜1987年)、「新人類の旗手たち」という、10-20代の若者たちとの対談を通じて、彼らの気分・思想・哲学・時代の気分を探ろう、表し出そうと試みた企画があったが、対談の内容やそこで使われた「新人類」という言葉にインパクトがあったため広まるようになる。1986年には新語・流行語大賞に選ばれた。
以下に、新人類という言葉に後から込められた解釈を記す。
従来のメインカルチャーに叛旗を翻し、新しい感性や価値観を打ち出した、主に1978年〜1987年に成人した若者たち(1958年〜1967年生まれ)のことを指して、マスコミが使用した呼称といえる。オタク第1世代と重なる。
中森明夫、野々村文宏、田口賢司、さらに当時の西武ライオンズの選手がファッション、言動等これまでの球界の常識を打ち破り、当時在籍していた工藤公康、渡辺久信、清原和博が代表的な存在。
成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとる。現実から逃避してフィクションに埋没してゆくオタクとは対極にあるとみなされた。オタクが仮想現実と現実を峻別して人生の目的として仮想現実世界を選択することに対し、新人類は情報化社会によって現実世界のほうが仮想現実化し、現実社会で生きるとは情報化された現実を情報処理することであると唱え、それをさまざまな哲学的命題を用いて理論づけようとした。
音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、一種のファッションとしての地位を得た。
しかし、評論家の竹熊健太郎は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えている。
オタクも新人類も情報の受け手である消費者を絶対視し、全ての情報は消費者の解釈と位置づけがその意味を決めるのであって、情報の送り手が込めた価値観やメッセージ(作家性)を軽視ないし無視した。新人類は主に哲学や思想・アイドルを語り、それを「知と戯れる」と称したが、実際のところ芸能雑誌やテレビ画面を通じて提供される情報で構築されるアイドルという虚構に萌えるのと、最初からアニメという情報によって構成される戦闘美少女に萌えるオタクは、ほとんど変わるところがない。
しかし、エリート消費者としての新人類という概念は、1980年代のバブル経済が破綻したことによって生の現実にさらされて下火になり、オタク概念は1990年代に技術的に破綻しながらもその作家性によって大ヒットした「新世紀エヴァンゲリオン」によって作り手のメッセージを無視できなくなり、単なる趣味人としての類型へと後退的に変質していった。
世代を特徴づける共有体験として、受験勉強の体験の他、テレビ番組や漫画・アニメ、ロック、テクノポップといったサブカルチャー体験を持つのが特徴。新人類との対比上から『旧人類』と位置づけられた、戦中・戦後派の戦争や、団塊の世代の全共闘運動など社会を激変させ、個人の価値観や意思とは関係なくその中に巻き込んで運命を変えるような強い共通体験に対して、新人類世代にはそのような共通体験が存在しない。
この『旧人類』サイドから見て、新人類世代が見せた価値観は、著しく異質なものに見え、ある意味では全く理解できない存在、あるいは恐怖の存在であったといえる。
また、この時代には、「構造と力」「逃走論」で有名な浅田彰(当時、京都大学人文科学研究所助手)などが出ている。