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新井 宏昌
福岡ソフトバンクホークス No.81
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府大阪市東成区
生年月日1952年4月26日(56歳)
身長
体重174cm
69kg
選手情報
投球・打席右投左打
守備位置外野手
プロ入り1974年 2位
初出場1975年7月25日 太平洋戦(平和台)
最終出場1992年10月13日 日本ハム戦(藤井寺)
経歴
PL学園高等学校
法政大学
南海ホークス (1975 - 1985)
近鉄バファローズ (1986 - 1992)
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
新井 宏昌(あらい ひろまさ、1952年4月26日 - )は、プロ野球選手(外野手、右投左打)。現役引退後は評論家・コーチとして活動している。現役時代は巧みなバットコントロールによる状況に応じたシュアなバッティングが特徴で、300犠打をマークするなどチームプレーでも欠かせない存在感を示した。また、コーチとしての手腕も高く評価されている。現在は福岡ソフトバンクホークスの打撃コーチ。大阪府大阪市東成区出身。旧名:新井 鐘律(あらい かねのり)。
目次
1 来歴・人物
2 年度別打撃成績
3 通算打撃成績
4 タイトル・表彰
5 背番号
6 指導者として
7 関連項目
//
PL学園を経て法大で活躍。法大では、江川卓らが1年生のときの4年生にあたる。1974年、ドラフト2位で野村克也監督の南海ホークス(背番号6)に入団し、1975年から1軍で活躍。1979年、打率.358の高打率を記録するが惜しくも首位打者には届かず。1981年、1982年には、2年連続3割。打撃技術の高さには、ロッテオリオンズで活躍していた落合博満も一目置いていた。
1985年オフ、山口哲治投手との交換トレードで近鉄バファローズ(背番号9)に移籍。新井は年齢的に限界であるという南海フロントの判断が、トレードの要因となった。しかし、1987年には初の首位打者に輝くなど大活躍し、近鉄側から見れば大成功のトレードとなった。当時の中西太打撃コーチや有田修三との交換トレードで読売ジャイアンツから移籍したベテラン左打者淡口憲治らとの出会いがきっかけでバッティング理論をより深く究めたことが、活躍の背景にあった。
1987年の首位打者獲得時には打率.366で、安打数184本を記録。この安打数は、130試合制における当時の日本記録であった。その後も毎年安定した成績を残し、1989年は2番打者としてチームのリーグ優勝に貢献。この優勝は新井にとってプロ生活14年目にして初めての経験であった。新井は、盗塁王の常連で一番打者である大石大二郎の後を打ち、バントや巧打でラルフ・ブライアント、鈴木貴久、金村義明、村上隆行といった強打者につなげる貴重な役目を果たした。その後1992年、2000本安打を達成し、衰えを理由に同年、40歳で引退した。地味ながらもそのつなぎ役としての能力の高さから、近鉄史上最高の2番打者と称えるファンも多い。
年度球団背番号試
合打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
刺犠
打犠
飛四
死
球三
振併
殺
打打
率
1975年南海6501882957731731671311580.303
1976年119406501101282144352057825213.271(15)
1977年121409639315511212114312345386.227(29)