斎藤 環(さいとう たまき、1961年 - )は、精神科医、評論家。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学。
目次
1 経歴
2 オタク研究家としての活動・言論
3 著書
3.1 単著
3.2 共著
3.3 共編著
4 関連項目
5 外部リンク
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岩手県北上市出身。筑波大学医学専門群環境生態学卒業、1990年同大大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。筑波大では稲村博の指導を受けた。1987年から爽風会佐々木病院勤務、現在同病院診療部長、内閣府所管社団法人青少年健康センター参与。ラカン、ベイトソン、中井久夫などに精通する。
雑誌「imago」に寄稿した論考を集めた『文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ』(青土社)で評論家としてデビュー、大きな反響を呼ぶ。漫画、アニメーション、デヴィッド・リンチなどを精神分析の立場から解釈する。以降、文章のスタイルはこれに準ずる。
『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)では、戦うアニメのヒロインはなぜ少女なのかについて分析。『文脈病』でも触れた、マイノリティな米国の画家ヘンリー・ダーガーの絵画を引用し、ダーガーを広く国内に知らしめる結果となった。カバーデザインは美術家村上隆のヒロポン。
一般的には、『社会的ひきこもり』(PHP新書)で認知されるに至った。このことから「ひきこもり」という言葉は一部で斎藤の造語だと思われているが、本書のタイトルは英語の翻訳である。同書はひきこもりについてのエッセー。同じく『「ひきこもり」救出マニュアル』(PHP研究所)では、幅広い読者を対象とするが、ひきこもりについて実際の診療をふまえて記述しているため、これらに関連してTV、講演等でひきこもり救出について語るようになる。 近年精神科医にかかる患者が増加していることに関しては否定的な見解を持っており、精神科にかかる敷居はある程度高いほうがよいと発言している。 また社会的な事件などに対し、心理学的、精神病理学的な解釈が広く求められる風潮に対しても否定的である、
各種の現代思想系雑誌、文芸雑誌、新聞に執筆している。近年ではサブカルチャー誌への執筆も行っている。
近著に『博士の奇妙な思春期』(日本評論社)、『解離のポップ・スキル』(剄草書房)。
2008年8月30日朝まで生テレビ!出演時に、徳仁親王妃雅子の病状が適応障害と公表されていることを踏まえ、推測であることを示した上で徳仁親王妃雅子の病状はうつ病であるという持論の説明をする際に、「古いうつ病と新しいうつ病がある」と区分けした上で新しいうつ病を説明する際に「新しいうつ病は不真面目」と発言した。その後、他の論者も不真面目の言葉を受けて以降、行動に限界があるが自分のやりたいことはできるというという部分を批判的に発言する者が出た。
2004年、斎藤はヴェネツィア・ビエンナーレの国際建築展日本館の ⇒「おたく:人格=空間=都市」展において、現代美術家の開発好明と共に、作品「オタクの個室」を出展した。「オタクの個室」は、実在する18人のオタクたちの部屋をミニチュアで再現した作品である。この作品について斎藤は、2005年のNHKの取材に対して「オタクの人たちは、凄く社会的なイメージと実情との乖離が激しかった。『幼女を傷つける』という様なあからさまな誤解が未だにまかり通っている。私はこの展示を通じてオタクの一人一人に個性がある事を再発見した。」とコメントした。
ゲーム脳が話題となった時には逸早く対応、論者の診療の不足を批判した。ひきこもり救出と同じく、医学者ではなく医師として論じなければならないと考えている。
また同様に、フィギュア萌え族が話題になった時にも、「フィギュアとダッチワイフは持ち主にとっての意味が異なる」と指摘し、また「ゲーム脳の様なインチキ」と、提唱者の大谷昭宏を批判した。大谷とやじうまプラスで共演している勝谷誠彦が広島小1女児殺害事件について「犯人は少女をフィギュア扱いした」とコメントした事についても、「もう、(大谷の代わりに)言わされている感ありまくりだね」と呆れている。
単著
『社会的ひきこもり――終わらない思春期』(PHP研究所[PHP新書], 1998年)
『少女たちの戦歴――『リボンの騎士』から『少女革命ウテナ』まで』(青弓社, 1998年)
『文脈病――ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ』(青土社, 1998年)
『戦闘美少女の精神分析』(太田出版, 2000年/筑摩書房[ちくま文庫], 2006年)
『若者のすべて――ひきこもり系VSじぶん探し系』(PHP研究所, 2001年)
『「ひきこもり」救出マニュアル』(PHP研究所, 2002年)
『ひきこもる思春期――いかに考え、いかに向き合うか』(星和書店, 2002年)
『心理学化する社会――なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』(PHP研究所, 2003年)