文字の獄 (もじのごく)とは中国の歴代王朝で行われた、粛清の類型の一つ。文書に書いた文字や内容が皇帝や体制を婉曲に批判しているとして、当該文書を作成した者を罰すること。多くが、無実であることが多い。
目次
1 概要
2 文字の獄の実例
2.1 明
2.2 清
3 関連項目
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中国の歴代王朝では文書の作成には漢文を用いることが殆どである。漢文を構成する漢字は表意文字であるため、同音異義字など使用して、隠れた意味をもたせた文章を作成することができる。古来からこのような漢字の特性を生かして、予言や体制批判などがなされ、利用されてきた。そのため、為政者にとって不満分子を摘発するのにはまず文書を読みその意味を探るのが第一となる。しかし、疑いすぎで書き手が意図しない意味を取り上げ、弾劾するという「揚げ足取り」のようなことがしばしば起きた。これを恐れと批判を込めて「文字の獄」という。
文字の獄が顕著だったのは明のはじめである。洪武帝は1368年に明朝が樹立されると、建国の功臣の粛清を始めた。ことに、卑賤の出であることについて洪武帝は劣等感を持ち、文人たちに猜疑心を持った。そのため、多くの官僚が文書で「皇帝を謗っている」として処罰された(胡惟庸の獄、藍玉の獄)
例
「天に道あり」←「道」は「盗」と同音である。皇帝を「盗人」と謗っている。
「光天の下、天は聖人を生じ、世の為に則を作す」←「光」とは「坊主」を指し、皇帝(洪武帝)が僧侶だった経歴を謗っている。また「則」は「賊」と同音である。皇帝を「賊」だと謗っている。
清朝では雍正帝の文字の獄が有名である。反満反清的記述をした者には極刑を処した。
「維民所止」
科挙の出題に『詩経』から「維民所止」というものが出された。これは「雍正」の「雍」のナベブタと「正」の「一」を取り払っている上に、「民所」の字で分断している。即ち雍正帝を呪っているとされ、関係者が処罰された。
関連項目
李鵬
方広寺
国家安康
きりしま事件
カテゴリ: 中国の思想史
更新日時:2008年7月4日(金)15:44
取得日時:2008/10/09 04:56