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教育委員会(きょういくいいんかい、英 Board of Education)はアメリカ合衆国の各州と日本の地方自治体の教育に関する事務をつかさどる行政委員会である。
本稿では特記しない限り日本の教育委員会制度について記述する。
目次
1 概要
2 歴史
3 教育委員会と事務局の組織
4 教育委員会制度改革の動向
4.1 経済界・首長からの廃止・解体論
4.2 行政学者の教育委員会制度廃止・縮小論
4.3 教育界における教育委員会活性化論
4.3.1 (1)公選制の復活
4.3.2 (2)教育長の資格化と教育委員の研修の充実
4.3.3 (3)都道府県教育委員会と市町村教育委員会の役割分担の明確化
4.3.4 (4)政策領域(職務領域)ごとの常設の専門委員会の設置
4.3.5 (5)教職員人事や財源(予算)に関する権限の市町村教育委員会への移譲
4.3.6 (6)学校へのサポート体制の強化
4.3.7 (7)政策評価システムの導入
5 各地の教育委員会
6 関連項目
7 外部リンク
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各都道府県、各市町村(特別区を含む)、地方公共団体の組合に置かれる。
教育委員会は、地方教育行政法で設置され、都道府県レベルと市町村レベルと2つの枠組みで存在する。委員の定数は、標準では5人とされているが各地方公共団体によって3人や6人の場合もある。委員は議会の承認により首長によって任命され、委員の互選により教育委員長が1人置かれている。教育委員会は合議により職務を遂行する。本来の教育委員会とはこの行政委員会であるが、実際の業務の処理のために、教育委員会事務局があり、これを教育委員会と呼ぶこともある(広義の教育委員会)。事務局には教育長が1人置かれていて教育長は教育委員も兼ねている。
現在の教育委員会には予算権は無く、子どもの入学、教員採用から、学校(私立学校、高等専門学校、大学を除く)の管理運営の指導助言、命令監督などを行う他、社会教育、学術、文化などに関する事務を管理し、執行する。文化財についての解説が教育委員会名義になっていることが多いのは、このためである。
近年は組織の形骸化が進み、父母等からの抗議や不祥事など問題が起きた場合による(教職員等の)身分保護のための苦情処理センターと化しているのが現状である。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)要請でアメリカ合衆国からの教育使節団が、1946年(昭和21年)3月5日、7日に来日、同年3月30日に第一次アメリカ教育使節団報告書が提出され設置勧告をされた。そこで文部省は1948年(昭和23年)に教育委員会を設置した。この制度は、教育行政の地方分権、民主化、自主性の確保の理念、とりわけ、教育の特質にかんがみた教育行政の安定性、中立性の確保という考え方の下に、教育委員会法によって創設された。地方自治体の長から独立した公選制・合議制の行政委員会で、予算・条例の原案送付権、小中学校の教職員の人事権を持ち合わせていた。
しかし、「教育委員選挙の低投票率、首長のライバルの教育委員への立候補・当選、教職員組合を動員した選挙活動」(文部科学省、2004)などにより、教育委員会は発足直後から廃止が主張される。
1956年(昭和31年)には、教育委員会に党派的対立が持ち込まれる弊害を解消するため、公選制の廃止と任命制の導入が行われ、教育長の任命承認制度の導入、一般行政との調和を図るため、教育委員会による予算案・条例案の送付権の廃止を盛り込んだ地方教育行政法が成立した。