教皇(きょうこう ラテン語:Papa、ギリシャ語:π?ππα?)はキリスト教の高位聖職者の称号で、一般的にはカトリック教会のローマ大司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。教皇の地位は「教皇位」(Papacy)、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また教皇の権威のことを「使徒座」ということもある。(そのほかの「教皇」については「称号の変遷とその他の「教皇」」の項を参照。本項は主にローマ教皇について記述。)教皇紋章
目次
1 概説
2 称号
3 変遷
4 継承
4.1 選出
4.2 死去
4.3 退位
5 シンボルと徽章
6 地位と権威
7 政治的役割
8 教皇位をめぐる議論
9 称号の変遷とその他の「教皇」
10 日本語での呼称
11 そのほか
12 関連項目
13 外部リンク
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初期のローマ司教たちはペトロの後継者、ペトロの代理者を任じていたが、時代が下って教皇の権威が増すに従って、みずからをもって「イエス・キリストの代理者」と任ずるようになっていった。「キリストの代理者」という称号が初めて歴史上にあらわれるのは495年で、ローマの司教会議において教皇ゲラシウス1世を指して用いられたものがもっとも初期の例である。これは五大首都大司教座(ローマ、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノープル、アレクサンドリア)の中におけるローマ司教位の優位を示すものとして用いられた。
教皇はカトリック教会全体の首長という宗教的な立場だけでなく、ローマ市内にある世界最小の独立国家バチカンの首長という政治的な立場もある。1870年のイタリア半島統一以前には教皇の政治的権威の及ぶ領域はさらに広く、教皇領と呼ばれていた。教皇領の成立の根拠とされた「コンスタンティヌスの寄進状」が偽書であることは15世紀以降広く知られていたが、教皇領そのものはイタリア統一まで存続した。1870年以降、教皇庁とイタリア政府が断絶状態に陥ったため、教皇の政治的位置づけはあやふやであったが1929年に結ばれたラテラノ条約によってようやくイタリア政府との和解を見た。
現在、教皇位にあるのは2005年4月19日に78歳で選出されたベネディクト16世(ヨーゼフ・ラッツィンガー)である。彼は1978年に58歳で教皇に選ばれたヨハネ・パウロ2世の後を受けて教皇に選ばれた。ベネディクト16世は1522年に選出されたハドリアヌス6世以来、ヨハネ・パウロ2世と二代続けて選出された非イタリア人教皇となった。ドイツ人ともオランダ人ともいえるハドリアヌス6世を除外すればドイツ人教皇の誕生は11世紀以来となる。
「教皇年鑑」によれば現在、教皇に用いられる公式な称号には以下のようなものがある。
ローマ司教
キリストの代理人
使徒のかしらの継承者
全世界のカトリック教会の統治者
イタリア半島の首座司教
ローマ首都管区の大司教
バチカン市国の首長
神のしもべのしもべ
ラテン語が公式言語である教会法の正文の中では、教皇は「ポンティフェクス・ロマヌス Romanus Pontifex」(ローマ司教)という名であらわされる。「パパ」という呼び方は教皇に対する非公式な呼び方であり、公式な呼び方をすべてあげるなら「ローマ司教、キリストの代理者、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」となる。このような長大な正式名称でよばれる機会はほとんどない。
教皇の署名は通常「教皇名○○、PP、○代」という形で行われる。たとえばパウロ6世なら「Paulus PP. VI 」である。PPはパパ(Papa)の略であるとされ、ローマ時代の最高神祇官から引き継がれた名称である「ポンティフェクス・マクシムス Pontifex Maximus」(最高司祭の意)の略称である「P.M.」あるいは「Pont.Max.」という称号が書き加えられる。回勅などの公式文書には正式に「教皇名、カトリック教会の司教(Episcopus Ecclesia Catholicae)」と署名される。
文頭にはよく「教皇名、司教にして神のしもべのしもべ(Episcopus Servus Servorum Dei)」という署名が書き込まれる。この形式は大教皇とよばれたグレゴリウス1世にまでさかのぼる古い呼び名である。そのほかの称号として「スンムス・ポンティフェクス」、「サンクティッシムス・パーテル」(至聖なる父)および「ベアティッシムス・パーテル」(もっとも祝福された父)、あるいは「サンクティッシムス・ドミヌス・ノステル」(われらがもっとも聖なる君主)などがあり、中世においては「ドミヌス・アポストリクス」(使徒的君主)もつかわれたが、現在でも少し形をかえてラテン語の荘厳な連祷の中で「ドミヌム・アポストリクム」と呼ばれている。
初代教会の時代から一貫してローマ司教が教皇という特別な地位を保持したわけではなく、ペトロのローマ到着以降、数世紀をかけて徐々に発達していったということはカトリック教徒も含めて広く受け入れられている。古代のローマはローマ帝国の首都として初代教会の信徒たちにとっても特別な場所であった。