政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家権力と宗教‐厳格に言えば「教会(宗派)」との分離を指す‐とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長、又は圧迫してはならないとする原則をいう。政教分離原則をして、世俗主義ということもある。政教分離とは逆に、国家が特定の宗教を援助・助長するなどの密接な関係にある場合は政教一致(せいきょういっち)と言う。各国において、国教制度、宗教と政治勢力との歴史的経緯(一例に欧州フランス王朝の教会との癒着と極東アジアでの法であった儒教の存在など温度差がある)から政教分離の程度には濃淡が見られる。
日本国憲法においては、第20条(信教の自由)においてこの原則が規定されている。自由権としての信教の自由を間接的に保障するための制度的保障として理解される。すなわち、国が、特定の宗教を優遇したり弾圧したりすることによって、「信教の自由」を侵す事を禁止しているものと理解される。よって、万人の信教の自由を保証しうるためにこの原則が行使されず優遇されているように見えることもある。
目次
1 歴史
1.1 古代
1.2 中世
1.3 近代
1.4 現代
2 日本以外の各国における政教分離の態様
3 宗教的な少数派
4 各国の事例
5 日本での政教分離問題
5.1 靖国神社参拝との関係
5.2 憲法改正の動きとの関係
5.3 歴史的経緯
5.4 法制局見解・判例・主要な議論
5.5 公明党と創価学会
5.5.1 宗教者個人の政治参加
5.5.2 宗教団体の政治参加
5.6 宗教と政党
5.7 文化財保護法との関係
5.8 目的効果基準
6 アメリカ合衆国での政教分離問題
6.1 アメリカ法における政教分離
6.2 参考文献
7 関連項目
8 脚注
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詳しくは政教分離の歴史を参照。
古代ギリシア・ローマ世界では多神教が支持されており政教の分離は前提として必要とされなかった[1]。古代エジプトでは神権政治が維持され政教分離は問題とされなかった。古代中国では黄帝から始まる三皇五帝の宇宙観(正統史観)や自然神、土着神などからなるゆるやかな神権政治が維持されていた[2][3]。古代インドではマウリア朝のアショカ王が仏教に帰依する以前は土着神やバラモンを中心とした神話世界と政治は一体であった。宗教は信仰であり文化であり、なんら普遍的な社会の一般的な構成要素の一つである考えられていた。
世襲君主制の下では、統治者は通常、宗教的にも最高位の指導者であり、時には神性を有するものと理解されていた。共和政体では、聖職者は政治家と同様に選ばれていた。宗教的な権威者が行政府の最高の地位に就いている例は、他国に支配されていた時代のユダヤ人の神権政治による自治においてみられた。
帝政期のローマ皇帝はインペラトルやプリンケプス、護民官職権などとともに最高神祇官の職にあたるものとされた。キリスト教徒は、皇帝の政治的権威は認めたものの、皇帝の神性については認めず[4]、ローマの神々への尊崇を拒否した。このため、キリスト教徒は国家に敵するものと考えられ、キリスト教の信仰は死刑の対象とされることがあった(マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代における神学者ユスティノスの例など)。
313年にローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世とリキニウス(東方正帝)がミラノ勅令を発布してキリスト教を他の宗教とともに公認するまでの間、幾多のキリスト教徒への迫害へとつながった。