慈照寺
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慈照寺

銀閣(観音殿、国宝)
所在地京都府京都市左京区銀閣寺町2
位置 ⇒北緯35度1分36.75秒
東経135度47分53.7秒

山号東山(とうざん、相国寺境外塔頭
宗派臨済宗相国寺派
本尊釈迦牟尼仏
創建年1490年延徳2年)
開基足利義政夢窓疎石(勧請開山)
別称銀閣寺
文化財銀閣、東求堂(国宝)
絹本著色春屋妙葩像(重要文化財)
庭園(特別名勝、特別史跡)
世界遺産
 ・編・歴 
銀閣雪化粧した銀閣東求堂雪の銀閣寺垣向月台銀沙灘修復中の銀閣(2008.03.24)修復中の銀閣(2008.03.24)

慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院相国寺の境外塔頭)。

正式名は東山慈照寺。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)
目次

1 銀閣の通称

2 歴史

3 境内

3.1 銀閣寺垣

3.2 庭園

3.3 東求堂(とうぐどう)

3.4 銀閣


4 交通

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

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銀閣の通称

足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称し、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されている。

なお、金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には銀箔は使用されていないが、全体に黒漆が塗られていたと考えられている。なお修復に際し、黒漆を再現するべきか、現在の木目をそのまま生かすか議論が分かれている。

平成20年2月から2年間の予定で修理中であり、銀閣そのものは見られない。(平成20年7月現在、骨組みと、屋根の見本は見られる)


歴史

室町幕府8代将軍足利義政(1436 - 1490)は、1473年(文明5年)、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、 1482年(文明14年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。

当時は応仁の乱が終わった直後で、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483年(文明15年)にはここに移り住んでいた。東山殿には会所常御所(つねのごしょ)などの大規模な建物が建ち、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能ももっていた。ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。

1490年延徳2年)2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。

戦国時代末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによる。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。

1952年3月29日には庭園が 特別史跡及び特別名勝に指定された。1994年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。


境内


銀閣寺垣

慈照寺の門から庭園を結ぶ入り口の道の両側の垣根は銀閣寺垣(ぎんかくじがき)と呼ばれている。


庭園

特別史跡・特別名勝。

錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園。

「苔寺」の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)を模して造られたとされるが、江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われていると言われる。「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、「向月台」と称される2つの砂盛りも、今のような形になったのは江戸時代後期とされている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki