復活大祭(ふっかつたいさい)はキリスト教の一教派である正教会における最大の祭日。パスハとも呼ぶが、正教会は西方教会諸派と異なり、「イースター」とはあまり呼ばない。イイスス・ハリストス(中世ギリシャ語読みに由来する、イエス・キリストの日本正教会における表記)の復活を記憶する祭りであり、西方教会諸派における復活祭に相当する。
ギリシャ語:Π?σχα
ロシア語:Пасха
英語:Pascha (or Easter)
古代には日付と位置付けをめぐり論争があったが、現在は春分の後の満月の次の日曜日(主日)に行われる。パスハの名はユダヤ教の過ぎ越しの祭り(パサハ)に由来し、聖歌中ではハリストスの復活は「新たなるパスハ」と呼ばれる。
復活大祭がハリストスの死を記念するものかハリストスの復活を祝うものかについて、古代には激しい論争があった。前者はユダヤ暦のニサン14日、後者はその三日後に相当する日を主張した。論争の末、後者が主流となり、4世紀には日曜日に復活祭が行われるようになった。最終的な日付の確定は、325年の第1回ニカイア公会議で行われた。正統信仰教会が東西に分かれた東西教会の分裂のあとも、両教会はこの同じ規定に基づいて復活大祭の日付を決定している。
目次
1 神学的位置付け
2 奉神礼
2.1 夜半課
2.2 早課
2.3 聖体礼儀
2.4 聖像
3 復活祭期
4 日付
5 風習
6 復活祭の聖歌から
6.1 復活のトロパリ
6.2 新たなるイェルサリム
7 脚注
//
正教会における復活大祭は、イイスス・ハリストスの死への勝利、それによって人に及んだ救いの記憶であり、かつまたイイスス・ハリストスの再臨の象りである(カトリックでは降誕祭を再臨の象りとみなしている)。
このため、復活祭は他の一切の祭と別格のものとして位置付けられている。ナジアンゾスのグレゴリオスは、その説教のなかで復活祭を「祭の祭、祝の祝」と呼んでいる。ハリストス教徒であることの喜び、すなわち救済への希望は、イエスの復活に拠るからであり、この日以上に喜ばしく祝われるべき日は信者にとっては存しないからである。この理解はコリントの信徒への手紙一の15章14節にある使徒パウロの言葉に拠っても裏付けられている。
また復活祭はたんに「復活」という一つの出来事を記憶するにとどまらない。ハリストスは信じるものにとって死から生命また真理への「門」であり「過ぎ越し」である。復活を祝うとは、罪から赦しへ、死から生命へのそのような移り行きが、ハリストスによって与えられていることを祝い、また己がそのような移り行きを日々生きていることを想起し、信仰へと己を鼓舞することでもある。
奉神礼正教会の司祭。赤の祭服は復活大祭からはじまる40日間の復活祭期の間のみ用いる。
聖体礼儀を含む復活大祭の奉神礼(典礼)は、土曜日から日曜日へと日付の変わる真夜中に行われる。ほとんどの教会で、復活大祭は、教会暦上は前日である聖大スボタ(土曜日)の徹夜課から引き続いて行われ、早課のあと、聖体礼儀を行う。早課のあと時課を続けて行うところも多い。
復活大祭の奉神礼を真夜中に行うことで、このもっとも重大な祭(祭の祭)を行うにあたり、その日に他の祭を先立って行わないことを確実なものにしている。
聖スボタの夜半課(やはんか)の最後に、聖堂に安置されていた眠りの聖像が王門から至聖所に運びこまれ、王門が閉じられると、神品は衣服を改め、堂内の照明はおとされて代わりにともされた蝋燭から、信者はそれぞれ燭をわかちあう。信者はみな聖堂から退出し、教会の外で十字行(十字架をかかげた教役者を先頭に信者が聖歌を歌いながら行列を行う)を行う。
聖堂を三周したのち、一同は聖堂正面にたち、司祭と聖歌隊の交唱により讃歌が歌われる。司祭は67聖詠(詩篇68)の冒頭に基づく讃歌を歌い、聖歌隊はその節ごとにパスハのトロパリ(後述)を歌う。復活祭ではじめてパスハのトロパリが歌われる時である。神は興き、其仇は散るべし、彼を悪む者は其顔(かんばせ)より逃ぐべし。煙の散るが如く、爾彼等を散らし給へ、蝋の火に因りて融くるが如く、斯く悪人等は神の顔に因りて亡ぶべし。惟義人等は楽み、神の前に欣ふべし。