彦島
面積9.8km?
所在海域関門海峡
所属国・地域 日本・山口県
表・話・編・歴
また、下関市の彦島地区(下関市役所支所設置条例で示された下関市役所彦島支所の所管する区域)を指す地域名称でもある。この場合、彦島本島のほか、響灘に浮かぶ六連島(むつれじま)、彦島の至近にある竹ノ子島(たけのこじま、彦島と道路橋で接続)、巌流島(正式名称は船島)の3島を含む。
目次
1 地域概要
2 地名
3 史的エピソード
4 観光
5 公共施設・機関
6 著名な出身者
6.1 芸能人
6.2 スポーツ選手
7 関連項目
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地域概要彦島(左手)と本土を結ぶ下関漁港閘門(小瀬戸水門)。山の上にある学校は下関中等教育学校。
2004年11月30日現在の推計人口は32,965人と、本州・北海道・九州・四国・沖縄本島などを除くと日本有数の人口の多い島として知られ、島内には重工業地帯が広がっている。
下関の本土とは、関彦橋 (かんげんきょう)、下関漁港閘門(小瀬戸水門)、彦島大橋 (彦島有料道路は2005年9月30日より無料開放) の3ルートで繋がっている。彦島から下関駅・国道9号方面へ向かうには関彦橋または水門を経由し、国道191号・東駅・下関IC方面へ向かうは彦島大橋を経由すると便利である。
島内の公共交通機関は、サンデン交通バス (彦島線) である。
鉄道については、JR山陽本線の関門トンネルの本州側の入り口があり、線路は存在するものの、駅がない。しかし、JR下関駅が非常に近い距離にあるため、彦島居住者は下関駅を利用する。下関駅までは、バスや自転車を使って移動する。
彦島荒田港と福岡県北九州市小倉日明港の間を関門海峡フェリーが運行している。
産業としては、造船業や重化学工業、水産加工業などが盛ん。主な企業として、三菱重工業下関造船所・下関三井化学 (三井化学関連会社、旧・三井東圧化学彦島工場)・ 彦島精錬 (三井金属関連会社) などがある。
自然や古くからの町並みが多く残っており、教育機関や公共施設も充実している。
地名
地名については『日本書紀』に「引島」とあるのが初出である。鎌倉時代の文献(『吾妻鏡』など)に、「彦島」と表記されたものがあり、「引島」と「彦島」と二通りの表記が共用されながら、やがて「彦島」に統一されるようになった。なぜ「彦島」に統一されたのかは諸説あるが、一例として、「壇ノ浦の戦いの時に、『引は武士にとって縁起が悪い』とされ彦島に改められた」という説がある。(参考文献『下関の地名(増補改訂版)』)
彦島を指して『ひこっとらんど』(スコットランドをもじったもの)、彦島在住者を『ひこっと』と呼ぶことがある。冗談で使用されることが多い用語であるが、侮蔑したニュアンスを少なからず含むため、その語の使用に不快を感じる彦島在住者がいる。
なお、『ひこっとらんど』については、島内にある西山海水浴場の愛称として採用された。しかし、その語が愛称として適切であるかを含め、愛称決定に疑問が残るという意見がある。(この決定は公募投票によるものだが、決定されたものに対する島民の投票割合は決して高くないと容易に推測できる程である)。
史的エピソード
瀬戸内海の制海権を握った平家にとって重要な拠点の一つであり、実際に壇ノ浦の戦いの際には平家が本陣を置いた。また、平家ゆかりの話としては、厳島神社の建設にあたって安芸宮島と並んで最終候補地になったが『七里七浦七曲がり』の条件のうち、僅かに長さが足りずに選ばれなかったとも伝えられる。
保元の乱に敗れた河野通次、源平合戦に敗れた平家の残党が彦島に移住し、彦島開拓の礎を築いた。彼らは、河野通次を筆頭に『彦島十二苗祖(びょうそ)』と呼ばれる。現在彦島において『河野』姓や『百合野』姓を持つ世帯が他地域と比較して際立って多く存在するのは、そういった背景があるためである。
幕末、下関戦争の講和条約の際に香港の如く租借地になりかけたが、正使の高杉晋作が突っぱねたため助かったとされる(宍戸桂馬に扮してイギリスのクーパーと交渉)。実際には藩主から『租借もやむなし』と言われていたが、これを託かった通訳の伊藤博文が高杉に伝えなかったためという説(後の伊藤自身による回顧)や、そもそもイギリス側からそんな話は出なかったという説(イギリス側の会議議事録)もあり、判然としない。[要出典]