強制収容所(きょうせいしゅうようじょ、英:concentration camp、独:Konzentrationslager、露:лагерь)とは、戦争時における国内の敵性外国人や、反政府主義者などその時の政府が敵対視する者などを治安の維持のため強制的に財産などを没収の上施設に収容することがあるが、そのための施設のこと。強制収容には、彼らにスパイ活動や破壊活動をさせないということと、不必要に彼らが迫害や暴力の犠牲にならないようにという二重の意味があるといわれるが、これまであった強制収容所のありようから考えればそれが後者の意義から設けられたことはほとんどないに等しい。ウラジミール・レーニンが考案した。
目次
1 歴史
2 ナチスに関係する強制収容所の一覧
3 北朝鮮における強制収容所
4 関連項目
5 外部リンク
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世界史の中で、最も組織的に強制収容所を建設・運営した国はソ連である。ソ連国内にはラーゲリと呼ばれる強制収容所が、ロシア革命直後から1991年のソ連崩壊直前まで、多数存在した。ラーゲリには反革命派と見做された政治犯や、第二次世界大戦時の戦争捕虜、或いは敵対的とされた民族(フィンランド人、ポーランド人、ドイツ人、朝鮮人、バルト三国人、西ウクライナ人、モルダビア人など)、敵階級(クラーク(富農)、資本家、貴族など)に属する人々を収容し強制労働に従事させた。
ソ連における収容所は1920年代から第二次世界大戦をはさんで1940年代まで拡大し続け、1950年代 はじめに最大規模に達し、ソヴィエト経済で中心的役割を演じるようになっていた。収容所は全国で少なくとも500箇所近くに存在していた。収容所に収容された人の数は数百万人から数千万人説まであり、全労働力人口の一割以上を占めたともいわれる。収容所の組織的運用によりソ連は近代において事実上の奴隷制を持つ唯一の国家になった。アメリカ軍兵士の監視下で強制収容所に運ばれる日系アメリカ人沖縄における収容所
第二次大戦中の強制収容所といえば、一般にはナチス・ドイツによる強制収容所(Konzentrationslager、略称 KZ )が有名である。この時の主な被収容者はユダヤ人や精神障害者、同性愛者、政治犯であり、最終的にはホロコースト(ジェノサイド)を目的としていたとされる。政治犯対象の強制収容所のみ例外で、ここはガス室ではなく、泥炭地での過酷な強制労働が中心だった。ドイツ国内、それもオランダ国境に近い東フリースランド地方に設置された。他の収容所はほとんどがドイツ国外にあった。多くはドイツの敗戦により解放されたがドイツ国内のブーヘンヴァルト強制収容所のみ囚人らの武装蜂起によって解放されている。
しかし、その他の国々でもこうしたものは存在し、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国でも日系人の強制収容が行われ多数の日本人・日系人が、強制収容所に入れられ、戦後アメリカ政府が謝罪し補償の対象になっている他、日本でもスタルヒンが敵性外国人として収容された例、沖縄戦終結直後に県民達がアメリカ軍によって収容された例がある。
また、軍事国家の傾向が強い国家において言論を弾圧した結果として政治犯が収容される刑務所、対テロ戦争において“逮捕した容疑者”を収監する施設が収容所と呼ばれる事もある。現在あるものとしては北朝鮮の強制収容所、アメリカ南方軍のグァンタナモ基地(キューバ)内刑務所、アフガニスタン駐留軍のバグラム空軍基地内刑務所がアムネスティ・インターナショナルによって“収容所”と判定された。2005年11月には、CIAが“対テロ戦争”で拘束した“容疑者”を、東ヨーロッパのいくつかの国にある旧ソ連時代の政治犯収容所、また2006年には“テロリスト若しくはその関係者と接触した可能性のある人物”をシリアの秘密収容施設に法的根拠なく収監・拘束していた事が発覚した。
ナチスに関係する強制収容所の一覧1943年におけるドイツ管理下の強制収容所
ポーランド
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(オシフィエンチム&ブジェジンカ(ビルケナウ))