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弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に後続し、古墳時代に先行する、およそ紀元前10世紀中頃から3世紀中頃までにあたる時代の名称である。
弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まった(しかし、近年になって縄文末期に属する岡山県総社市の南溝手遺跡の土器片中からプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることが判明し、また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつあり弥生時代のはじまりははっきりと定義できない状態である)。
目次
1 名称
2 概要
3 時期区分
4 政治
4.1 戦乱の時代−環濠集落と高地性集落−
4.2 倭国大乱
4.3 地域勢力と大型墳丘墓の出現
5 人々の生活
5.1 道具類
5.2 集落
5.3 墓制
5.4 中国との通交
6 現代の遺跡発掘調査
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
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「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京市本郷向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)の貝塚で発見された土器が発見地に因み弥生式土器と呼ばれたことに由来する。(なお、その後の都市化の進展などもあって正確な発見地は特定できなくなっている。) 当初は、弥生式土器の使われた時代ということで「弥生式時代」と呼ばれ、その後徐々に「式」を省略する呼称が一般的となった。なお余談だが、弥生時代の名称の起源となった、弥生町で出土した一群の土器は、現在の土器編年上では古墳時代前期に属するとの説が有力になりつつある。
紀元前5世紀中頃に、大陸から北部九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、九州、四国、本州に広がった。 初期の水田は、福岡市博多区にある板付遺跡や、佐賀県唐津市の菜畑遺跡など、北部九州地域に集中して発見されている。 弥生時代のはじまりである。
近年になって水稲である温帯ジャポニカは縄文晩期には導入されていたことが判明しつつあり、さらに近年の放射性炭素年代測定により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前10世紀まで遡る可能性が出てきている。
また、稲の伝来ルートについても従来は朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種(水稲)/熱帯ジャポニカ種(陸稲)の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中国東北部から当該遺伝子の存在が確認されないこと[1]などの複数の証左から、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート等)による伝来である学説が有力視されつつある(従来の説とは逆に水稲は日本から朝鮮半島へ伝わった可能性も考えられている)。