弁当(べんとう)とは、携帯できるようにした食糧のうち、食事に相当するもの。家庭で作る手作り弁当と、市販される商品としての弁当の二種に大別される。本項では日本の弁当を中心に記述する。
目次
1 概説
2 歴史
3 弁当を作る方法
4 様々な弁当
5 その他
6 日本の代表的な弁当専門店チェーン
7 関連項目
8 外部リンク
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弁当「すみだ川」寿司の折詰めかつサンド松花堂弁当の器精進料理店、花菱(高野山)の弁当
調理が済んだ食べ物を携帯する習慣は世界中で見られる。例えば最も簡単な形式では、チベットのツァンパのような物がある。
インドではチャパティとカレーをダッバーと呼ばれる積み重ね式容器に入れ携帯する習慣が見られ、アメリカ合衆国(大陸)ではピーナッツバターとジャムを塗った簡単なサンドイッチ( ⇒PBJと呼ぶ)や果物などをランチボックスに入れ、昼食として携行する。
日本では古くから弁当の習慣が起こり、他の諸国では例を見ないほどの発展を遂げていった。これは、日本で一般的に食べられるジャポニカ米が、インディカ米などと比べ、炊いた後冷めてしまってからでもおいしいという特徴を持つためであるとされる。伝統的な日本の弁当は、ご飯と魚介類や肉料理などのおかずを主に、付け合わせとして梅干しなどの漬物を付ける。おにぎりや稲荷寿司などを詰めた弁当も人気が高い。弁当の具材は持ち運びがしやすい容器に入れられるのだが、その容器は「弁当箱」という名で呼ばれる。英語では日本語をそのままに「 ⇒bento」と呼ばれている。日本の多数民族(大和民族)における伝統的な弁当はそれぞれの家庭でこしらえていくものであり、これは家事の一つとして重要な位置を占めていた。
明治時代の日本では、鉄道駅で弁当が売られるようになり(駅弁)、第二次世界大戦後はスーパーマーケットや前述の販売店などでも販売され始めた。1980年代後半から1990年代にかけての日本では、持ち帰り(テイクアウト)専門の弁当製造・販売店やコンビニエンスストアが台頭し、これらで販売される市販品の弁当を利用する者も増えた。
日本のコンビニエンスストアに納入する弁当の製造工場は24時間体制で操業しており、多いものでは日産数万食にも及ぶ規模となっている。団体旅行や法事など、弁当に大量かつ一定の豪華さが要求されるような状況に向け、これらの製造に当たる仕出し料理店や料亭なども多い。
中国にはそもそも冷めた米を食べる習慣がなかったが、近年は米飯の入った弁当箱に料理を上から載せ、電子レンジなどで温めて食べるような習慣が形成されている。同じ中国内でも上海等では、日系のコンビニエンスストア等を中心に「弁当」の語源でもある「便当」として普及を狙い、現在では日本のものと似た弁当も売られるようになり一般化しつつある(2005年3月5日NHKスペシャル『13億人の欲望をつかめ』)。
台湾では、日本に統治されていた時代に駅弁も含めて弁当を利用する習慣が根付いていった。そのため、現在も台湾では国道沿いなどに多くの弁当店が店舗を構え、盛況を見せている。池上米など日本に近い品種の米が導入されたことも、台湾での弁当の普及に大きく関係しているものと思われる。
弁当の起源は平安時代まで遡ることができる。当時は「頓食(とんじき)」と呼ばれたおにぎりのほか、「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれる調理済みの乾燥米が携帯用の食料として利用されていた。干し飯は小さな入れ物に保管することができ、そのまま食べる、あるいはこれを水に入れて煮るなどして食べられていた。
安土桃山時代には現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになり、この時代より弁当は花見や茶会といった場で食べられるようになった。
江戸時代、天下泰平の時代、弁当はより広範な文化になると同時に優雅な文化となった。旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。腰弁当とはおにぎりをいくつかまとめたもので、竹の葉で巻かれたり、竹篭に収納されたりした。現代でも人気が高い弁当として「幕の内弁当」があるが、これも江戸時代に現れる。能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)にこの特製の弁当を食べていたため、この名前が付いた。そしてこの時代、弁当のハウトゥー本が多数出版されたという。ひな祭りや花見に向けての準備を行う庶民のために、これらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれていた。
明治時代、給食もなく、また現代のように外食施設が発達していなかったこの時代、役所に勤務する官吏たちは江戸時代からあるような腰弁当を提げて仕事に出掛けていた。そのため、安月給の下級役人は「腰弁」などと呼ばれていた。