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庭園(ていえん)とは、見て、歩いて楽しむために、樹木を植えたり、噴水・花壇を作ったりなど、人工的に整備された屋外施設。日本では、自然を模して川・池・築山などが作られ、木や草が植えられているものもある。
目次
1 中国の庭園
1.1 皇帝所有の庭園
1.2 貴族所有の庭園
2 中国庭園に関する書籍
3 イスラムの庭園
4 西洋の庭園
4.1 古代エジプト、西アジア
4.2 古代ギリシア・ローマ
4.3 中世の囲い込まれた庭
4.4 イタリア・ルネサンス
4.5 フランス式庭園の成立
4.6 イギリス式庭園の流行
4.7 ドイツの庭園
4.8 都市公園の形成と20世紀の庭園
5 日本の庭園
5.1 飛鳥・奈良時代
5.2 平安・鎌倉時代
5.3 室町・安土桃山時代
5.4 近世
5.5 明治から昭和へ
6 形式
7 日本の名園
8 世界の名園
9 関連項目
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中国の庭園には大きく分けて、苑囿と呼ばれる皇帝所有の大規模自然庭園と、貴族、官僚、豪商などの私邸庭園の別があり、両者の性格と規模は異なるが、造園の手法には共通点も少なくない。
苑囿の出現は周代にさかのぼると伝えられるが、造園の事跡が確認される古代の実例としては、秦の始皇帝の上林苑のほか、咸陽の離宮で渭水の水を引いて池を作り楕族山を築いているのは人工的な築山の先駆である。前漢の武帝は上林苑を拡張し、建章宮では太液池中に東海神山をかたどった築山を作った。茂陵の袁広漢の造園は石の築山、砂の洲浜を備え、珍奇な禽獣や樹木を集め、多くの建築を配したもので、すでに山水、花木と建築を組み合わせる中国庭園の原型がうかがえる。
下って後漢の梁冀の広大な苑囿、南北朝時代では北魏の張倫、劉宋の戴媛らの造園もまた山水を主たる園景としたものであった。また、隋の煬帝の東都の西苑、唐の長安の曲江、大明宮后苑、北宋の東京の艮岳、金明池、元の大都の太液池などに代表される歴代王朝の苑囿は、豪壮な規模と華麗な園景によって知られる。
貴族官僚の庭園では、唐の白居易の廬山草堂、王維の土川別業は歴史に名高く、また北宋の西京、南宋の臨安、呉興などの地にあった数多くの名園については文献の記述からその自然園景の画趣が伺える。しかし、これらの史上に名高い苑囿・庭園はいずれも失われ、古い時代の実例は伝わらない。現存する庭園遺構は、蘇州の芸圃や無錫の寄暢園などが明代の風格を留めているのを除くと、いずれも清代、大半は末期以降の再建を経ている。代表的遺構として、江南地方の私邸庭園に芸圃、寄暢園のほか、蘇州の留園、拙政園、滄浪亭、獅子林、網師園、環秀山荘、旋園、鶴園、揚州の个園、何園、片石山房、上海の豫園、南京の瞻園などがあり、また皇帝の離宮・苑囿には北京の紫禁城西苑、頤和園、円明園、承徳の避暑山荘などがある。