広陵高等学校
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国公私立の別私立学校
設置者学校法人広陵学園
校訓質実剛健
設立年月日1896年
共学・別学男女共学
課程全日制課程
設置学科普通科
学科内専門コースI類・II類
高校コード34503C
所在地〒731-3161
広島県広島市安佐南区沼田町伴4754番地
電話番号082-848-1321
FAX番号082-848-5044
外部リンク ⇒公式サイト
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広陵高等学校(こうりょうこうとうがっこう)は広島県広島市安佐南区沼田にある私立の高等学校。
目次
1 概要
2 沿革
3 主な出身者
3.1 プロ野球選手
3.2 アマチュア野球指導者
3.3 その他
4 関連項目
5 外部リンク
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大正期には修道中学、明道中学(廃校)とともに広島三中と呼ばれていた程の名門校であった。
硬式野球部は、旧制中学時代から全国大会(甲子園他)に出場しており、広島商業ともども、広島県のみならず全国的にも有名で、1926年、1991年、2003年といずれも春のセンバツで優勝しており春に強く「サクラの広陵」の異名がある。夏の選手権では1927年、1967年、2007年と、40年おきに3度決勝へ進出しているが、惜しくも優勝には届いていない。準優勝は春夏合計6回。硬式野球部からは多くのプロ野球選手を輩出している。
その他、軟式野球部、ボクシング部、テニス部なども優秀な成績をおさめている。
沿革2007年第89回全国高等学校野球選手権大会・開会式入場行進の広陵ナイン
1896年2月 鶴虎太郎、数理学会を設立。
1898年4月 数理学会を究数学院と改称、1900年に中学科を設置。
1901年5月 究数学院中学科を私立広陵中学と改称。
1907年4月 呉服商・石田米助の出資を仰いで、中学校令による旧制中学校として認可(校主:石田米助・校長:鶴虎太郎)。
1920年夏 石田米助の死後に跡を継いだ長男・石田真一校主と鶴校長との間で学校運営をめぐる対立が表面化。11月に石田校主は鶴へ校長解任を通告、一連の校主側と校長側との対立が「(第一次)広陵事件」として全国に報道される。
1921年3月 仲裁の結果、学校分割を決定。鶴校長側は材木商・田中イト他の出資を得て、新たに宇品町の千田廟公園隣接地(現・南区宇品:ジャスコみゆき店付近)に財団法人広陵中学校を設立。石田校主側は広陵中学校を山陽中学校に改称するとともに、財団法人山陽中学校(のちに財団法人石田学園に改称)を設立した。
1945年8月 原子爆弾の投下により講堂及び教室一棟が倒壊。
1948年5月 学制改革により広陵高等学校(全日制普通科)を開校。
1950年4月 定時制(普通科)を併設。
1951年3月 私立学校法の制定により学校法人広陵学園が発足。
1953年4月 全日制・定時制とも商業科を併設。
1958年1月 現行の校章・校旗・校歌を制定。
1971年4月 安佐南区に広陵幼稚園を開園。
1973年4月 広陵高等学校を現校地に全面移転。旧市内の有力私立高のように中学校を付設せず中高一貫教育を取らなかったため、難関大への進学実績は安佐南区では後発の広島県立安古市高等学校の後塵を拝すことになった(しかしスポーツエリート校の性格が強い当校では、中学入学時点では運動能力がはっきりせず選抜は困難であるため中高一貫教育には向かないこともある)。
1974年4月 理数科を新設。
1998年4月 男女共学に移行。