広永 益隆
基本情報
国籍 日本
出身地徳島県徳島市
生年月日1968年3月5日(40歳)
身長
体重172cm
84kg
選手情報
投球・打席右投左打
守備位置外野手
プロ入り1985年 ドラフト3位
初出場1989年4月8日
経歴
徳島県立徳島商業高等学校
南海ホークス
福岡ダイエーホークス(1986 - 1994途)
ヤクルトスワローズ(1994途 - 1997途)
オリックス・ブルーウェーブ(1997 - 1999)
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
広永 益隆(ひろなが やすたか、1968年3月5日 - )は徳島県出身の元プロ野球選手。右投げ左打ち。
目次
1 来歴・人物
2 エピソード
3 メモリアルアーチ
4 背番号
5 成績
6 関連項目
//
徳島商業では四国屈指のスラッガーとして名を売り甲子園には4度出場。1985年、ドラフト3位で南海ホークスに入団。チーム名がダイエーへと変わった4年目の1989年に1軍へあがり、代打を中心に活躍。プロ初打席では当時日本ハムファイターズで活躍していた西崎幸広から本塁打を放つ。1990年には規定打席未満ながら打率.313をマーク。しかし、1993年にチームの本拠地が福岡ドームになってから本塁打数が減少。
1994年途中、ヤクルトスワローズに金銭トレードで移籍し、代打の切り札として活躍。1995年のリーグ優勝に大きく貢献した。1997年途中に馬場敏史・岩崎久則とのトレードで小倉恒とともにオリックス・ブルーウェーブに移籍。1999年限りで引退。
通算34本塁打にも関わらず、メモリアルアーチが多い(下記参照)ことから「メモリアル男」あるいは「記憶より記録に残る男」と呼ばれた。引退後はマスターズリーグの初年度に福岡ドンタクズに所属していたが、現在は地元四国の少年野球チームを指導している。
エピソード
多くの記録本塁打を放っている。オリックス時代の1998年7月7日当時大型連敗(16連敗)を続けていたロッテとの試合で、同点で迎えた延長12回裏に近藤芳久から代打サヨナラ満塁本塁打を放ち(ヤクルト時代の1995年にも代打サヨナラ本塁打を放っており、史上2人目の両リーグ代打サヨナラ本塁打記録者となっている)、ロッテの連敗を17に伸ばさせた。
ダイエー時代の1990年9月26日オリックス戦でプロ野球通算6万号となる本塁打を放った。1992年6月6日西武戦ではパ・リーグ通算3万号を放った。1992年10月1日近鉄戦で放った決勝ホームランは平和台野球場の最終本塁打となった。
メモリアルアーチ
プロ初打席初本塁打及び福岡ダイエーホークスチーム1号本塁打:1989年4月8日、西崎幸広投手から(東京ドーム・日本ハム戦)
日本プロ野球通算6万号:1990年9月26日、山沖之彦投手から(西宮球場・オリックス戦)
パ・リーグ通算3万号:1992年6月5日、潮崎哲也投手から(西武球場・西武戦)
平和台球場公式最終戦本塁打:1992年10月1日、野茂英雄投手から(平和台球場・近鉄戦)
ロッテに連敗日本記録を更新させる代打サヨナラ満塁本塁打:1998年7月7日、近藤芳久投手から(グリーンスタジアム神戸・ロッテ戦)
※代打サヨナラ満塁本塁打は史上11人目
背番号
47(1986年?1994年途中)
1994年は広永→ボビー・シグペン→ケビン・ライマーと3人の選手が付けることになる。
49(1994年途中?1997年途中)
00(1997年途中?1999年)
年度球団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打打
点盗
塁犠
打犠
飛四
球死
球三
振打
率
1986南海-
1987-
1988-
1989ダイエー3549471114404150002017.298
199080217198276211182312015249.313
19919116113825324082500221040.232
19928117115313274161800018048.176
19931925230410030002011.174
1994-
ヤクルト44494211020120007014.238
19953952473910290005015.191
199620322951111210000307.379
1997555010001000003.200
オリックス8119120011000113.222
199841565041110290014116.220
1999-
通算成績4638287419018329334116123784223.247