中華人民共和国 広東省 広州市
簡称:穂
別称:羊城、花城、穂城
広州市の位置
中心座標 ⇒23°06′32″N, 113°15′53″E
国家中華人民共和国
省広東
行政級別副省級市
建都紀元前214年
建市1921年
市委書記朱小丹
市長張広寧
面積
- 総面積7,434.4 km?
- 市区3,718.8 km?
海抜8 m
人口
- 総人口(2007)773.48 万人
- 人口密度1,312.09 人/km?
- 市区人口(2006)625.33 万人
- 市区人口密度1,627 人/km?
経済
- GDP(2006)6,073.8277 億元
- 一人あたりGDP63,100元
⇒電話番号20
⇒郵便番号510000
ナンバープレート粤A
市樹木棉
市花木棉
官方ウェブサイト: ⇒http://www.guangzhou.gov.cn/
繁華街の北京路
広州市(こうしゅうし、广州市, 廣州市, ?音: Gu?ngzh?u, 粤?: Gwong2 zau1)は中華人民共和国南部広東省の省都であり、華南地区全体の行政的中心でもある。副省級市として省と同様の経済的な権限を与えられている。人口約713万人。ただし流動人口が約300万程度と推定され、実質の常住人口は約1,000万人とみられる。北京市、上海市に次ぐ中国第3の大都市。昔から羊城と愛称され、また花城、穂城の名もあり、穂(?音: s?i)と略称される。地下鉄、高速道路網が発達している。
目次
1 地理
2 歴史
3 文化
4 スポーツ
5 行政
6 教育
7 交通
8 類似都市名
9 姉妹都市
10 関連項目
11 外部リンク
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広州は珠江デルタ地帯の北部、西江、北江、東江の合流地点に位置する港湾都市である。海からは虎門を入り、獅子洋を遡る。隣接の行政市は仏山、東莞、中山、清遠、恵州である。
中国の気候区分 - 南亜熱帯海洋性季風気候
年間平均気温 - 摂氏22.8度
最高月間平均気温 - 摂氏38.6 - 39.3度
最低月間平均気温
年間降水量 - 2,265 ミリメートル
年間日照時間 - 1218 - 1826 時間
古代の百越の地であるが、秦の始皇帝が中国を統一して現在の広州に南海郡番禺県を設置したのが始まりである。秦帝国の崩壊後、漢人官僚・趙佗が南越国を樹立して自立したが、前漢の武帝によって滅ぼされた。漢代には交州に属し、三国呉が広州を分置した。古代から中国の南海貿易の中心地として発展し、唐代半ばの741年には最初の市舶司が設置され、多数のイスラム教徒やユダヤ人が訪れた。外国人居留区である蕃坊もおかれた。唐末の黄巣の乱に際して襲撃を受けて多大な打撃を受けたが復興し、五代十国時代には南漢王国の首都となった。海禁政策を取った明代でも広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、清代半ばの1757年からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と広東貿易が行われた。この構図は、近代に入り西欧列強の圧力に屈するまで続くことになる。
アヘン戦争中の1841年では一時英軍に占領され、1911年には孫文が広州蜂起を行い、辛亥革命の先駆けとなった。袁世凱の没落後、孫文は1921年越秀山南麓で中華民国大総統に就任し、広州が中華民国の臨時首都となった。1924年には軍閥割拠の中国を統一するため国共合作を行い、黄埔軍官学校を設立、蒋介石が校長となり、周恩来が政治部主任を務めた。この時期には毛沢東も農民運動講習会をこの地で開催している。孫文没後、蒋介石の国民党は共産党と分裂し、1927年共産党は広州コミューンを樹立したが、間もなく国民党軍の侵攻を受けた。蒋介石は1928年に首都を南京に移転している。1938年日本軍が占領。