平家の落人
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平家の落人(へいけのおちうど)とは、治承・寿永の乱(源平合戦)において敗北し僻地に隠遁した敗残者のこと。主に平家一門及びその郎党、平家方に加担した者が挙げられる。平家の落武者ともいうが、落人の中には武士に限らず公卿女性子供なども含まれたため、平家の落人というのが一般的である。こうした平家の落人が特定の地域に逃れた伝承を俗に平家の落人伝説などという。このような落人の子孫を主張する村は全国で132箇所もありその殆どが信憑性に欠けると考えられる[1]
目次

1 平家の落人とは

1.1 平家の落人ゆかりの姓


2 日本全国の平家の落人伝承

2.1 東北地方

2.2 関東地方

2.3 中部・北陸地方

2.4 関西地方

2.5 中国地方

2.6 四国地方

2.7 九州・沖縄地方


3 関連項目

4 脚注

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平家の落人とは

今日、日本各地において平家の落人伝説が伝承されている。そもそも平家の落人とは、源氏平氏とが雌雄を決した源平合戦で一ノ谷の戦い屋島の戦い壇ノ浦の戦いにおいて平家方が連戦連敗を繰り返した中で発生した平家方の難民であり、残党の追捕から逃れた者が落人となって各地に潜んだことから様々な伝承が伝えられるようになった。武士に限っては平家の落武者という場合もあるが、必ずしも武士だけが落ち延びたわけではないことから平家の落人という言われ方をすることの方が比較的多い。そうした平家の落人が潜んだ地域を平家谷、平家塚、平家の隠れ里、平家の落人の里などという。

平家の落人伝承にある誤解としてよくあるのが、平家の落人の末裔が即ち平家一門の末裔であることと混同されることが少なくないことである。確かに平家の一門が落ち延びたという伝承も少なくはないが、平家の落人という概念が形容するものは「平家方に与して落ち延びた人」であり、平家の郎党である場合もあれば、平家方に味方した武士の例もあったということは忘れてはならない。 また、源平合戦そのものも伊勢平氏と源氏を担いだ坂東平氏の争いであることから平家の落人=平氏とは言えない。

中には、創作や脚色された信憑性に薄い伝承や誤伝に基づく話もある。ただし、戦において落人が発生することは珍しいことではなく、まして西海に覇を唱え、大軍を擁しながらも大敗・滅亡した平家にとって多くの落人が発生したことは当然といえる。 また、平家の落人といわれる家系が姻戚関係を結んだ結果間接的な子孫も増えるのは当然なことであるが、そうした間接的な血筋までも平家の落人を称する場合がある。それは一概に間違いではないが、口伝を基本としている平家の落人伝承が誤って認識される素ともなり、虚構を生んだり、虚構でないにせよ些細な誤認が誇張や拡大解釈につながることで捏造と判断されたり、伝承自体が曖昧になりやすい側面もある。

いずれにせよ、平家の落人といわれる人々が相当数存在したことは事実に相違ない。それは、後に平家の残党が起こした三日平氏の乱やかつての平家方 城助職の起こした謀叛などをみても明らかである。それ故、平家の落人伝説の中には信憑性の高いものも多くある。

しかし、落人が世から身を隠し潜むことにより生き長らえたという境遇にあった以上、その歴史は長く秘匿されるべきものとされていたことは想像に難くはなく、その意味で信憑性の程度や事実の如何はともかくとしても、歴史学的に客観的な検証能力を有するものは著しく少ないのが実情であるといえよう。

とはいえ、歴史としての正確性や検証性はともかくとしても、平家の落人伝説にちなんだ姓も日本国各地で存在していることも事実であり、またそうした謎の多き、闇に包まれた伝承がいわゆる歴史のロマンを想起させる要因でもある。


平家の落人ゆかりの姓

平家の落人にゆかりあるとされる姓

青田、阿佐、安徳、大庭、織田、落、葛西、梶原、上総、門脇、上時国、神長、桐原、葛原、久保、小松、坂梨、渋谷、下時国、平(たいら、ひら)、橘、平山、種子島、秩父、寺田、土肥、伴、長尾、永野、長濱、野崎、八巻、服部、平野、平家、星、星野、宗、谷内、椎葉、高倉


日本全国の平家の落人伝承

日本各地の代表的な平家の落人伝承のある地域


東北地方

宮城県仙台市青葉区定義地区平貞義が落ち延びたと伝わる。


福島県南会津郡檜枝岐村平家方として落ち延びた平氏・藤原氏の者が土着し、星姓、平野姓を称したという。


関東地方

茨城県久慈郡大子町古分屋敷平家方についた大庭景親の残党が落ち延びた伝承がある。尤も、武者ではなく平家方に随身した武将のであったといい、古分屋敷に子孫は10軒の家を構えたとされる。二人の姫と土着した子孫の姓は桐原氏、神長氏という。桐原氏は坂東八平氏のひとつ鎌倉氏の流れを汲む大庭氏の血筋であり、神長氏は藤原氏であるという。また、このニ氏は佐竹氏の家臣としても存在している。


栃木県塩谷郡栗山村川俣(現・日光市)平藤房(藤原藤房とも)らが落ち延びたとされ、大将塚・平家杉などの史跡が散在する。


栃木県日光市湯西川平忠実が落ち延びたとされる。端午の節句にも鯉幟を揚げない等独自の風習もある。湯西川の平家の落人伝説は現地の平家落人民俗館などでも紹介されているほか、平家祭などの行事も行われている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki