平 信兼(たいら の のぶかね、生没年未詳)は平安時代後期の武将。伊勢平氏の一族で父は平盛兼。子に兼隆(山木判官代)らがある。
伊勢国鈴鹿郡関を本拠とする。保元元年(1156年)の保元の乱に際しては、同族の平清盛とともに後白河天皇方として参戦。その後、清盛の立身と平氏政権の樹立の過程でその配下に組み込まれる。検非違使や河内国、和泉国、出羽国の国司を歴任し、位階は正五位下に至った。
治承・寿永の乱に際しては平家の都落ちには同行せず、伊勢国に潜伏する。元暦元年(1184年)に、伊勢にて平家継らとともに反源氏の蜂起を行うが、ほどなく源義経によって鎮圧された(三日平氏の乱)。その後は京に潜伏したともいうが、その最期については不明である。
一説には後代における関氏の祖であるともいう。
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更新日時:2007年12月8日(土)03:14
取得日時:2008/08/15 04:23