平井 正史
中日ドラゴンズ No.33
基本情報
国籍 日本
出身地愛媛県宇和島市
生年月日1975年4月21日(33歳)
身長
体重185cm
97kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
プロ入り1993年 ドラフト1巡目
初出場1994年9月10日
年俸8,500万円(2008年)
経歴
愛媛県立宇和島東高等学校
オリックス・ブルーウェーブ(1994 - 2002)
中日ドラゴンズ(2003 - )
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平井 正史(ひらい まさふみ、1975年4月21日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
故障からカムバック賞を受賞するまでに復活を遂げた右腕。右肘に手術痕が残る。
目次
1 来歴・人物
1.1 オリックス時代
1.2 中日時代
2 人物
3 年度別投球成績
4 タイトル・表彰
5 関連項目
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宇和島東高校時代は1993年の甲子園に春夏連続出場を果たす。その年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブより1位指名を受け入団。当初はドラフト2位以下での指名予定だったが、オリックスが1位指名を予定していた平田洋が入団拒否の構えを見せたため、急遽1位での指名となった。
平井本人は福岡ダイエーホークスへの入団を希望していたが、オリックスから1位指名され、入団するかどうか戸惑ったが、最終的にはオリックスへの入団を決意した。
入団2年目の1995年のシーズンに抑えとして15勝5敗27セーブを挙げて新人王と最多セーブ投手のタイトルを獲得する大車輪の活躍を見せオールスターゲーム出場、イチローらと共に、オリックス黄金時代(同年リーグ優勝、1996年日本一)を築く。
しかし1996年途中の肘をはじめ、度重なる故障に悩まされるようになると同時に登板数が徐々に減少、1999年以降の4年間に至っては勝ち星を挙げることができないまま、2002年オフに山崎武司との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍することになった。
移籍後の2003年シーズンはオリックス時代の投手コーチでもあった山田久志監督のもと、先発投手としてチームの勝ち頭となる12勝(6敗)を挙げて見事に復活を遂げ、カムバック賞を受賞する。また、打撃においても打率自体は.038と低かったものの、意外なところでの安打やヤクルト戦で決めた2ランスクイズなど確実な技術の向上が見られた。
2004年はシーズン当初は先発、シーズン中盤はアテネオリンピック野球日本代表として戦列を離れた岩瀬仁紀に代わり抑え、シーズン後半は中継ぎとしてフル回転で活躍し、岡本真也、落合英二、岩瀬仁紀らと共に投手陣を支え、中日のリーグ優勝に貢献した。
2005年も中継ぎとして奮起したが、9月7日の対阪神タイガース戦で中村豊に本塁打を浴びるなど、特に後半戦で安定を欠いて、故障離脱した岡本共々、中日が連覇を逸した原因になった。
2006年前半は、岡本の不調を受けて、中継ぎエースとして奮起。岡本復調後は岡本、鈴木義広、久本祐一、小林正人、岩瀬らと共にリーグ優勝に貢献した。
2007年シーズンは首脳陣によれば、キャンプ時は先発として期待されていたが、結局中継ぎに専念することになった。7月31日の広島戦(広島市民球場)で9回裏にリリーフ登板し、1球で石原慶幸を併殺打に打ち取って延長戦に突入し、10回表に自身の代打・新井良太が勝ち越し適時打を放ち、そのままチームが勝利し、1球勝利達成。
チームメイトの川上憲伸曰く、中日の選手の中では山本昌と並んで食事量が多いらしい。
朝倉健太曰く、打たれても翌日にはきっちりと落ち込まずに球場入りするため、手本になっていると語った。
チームメイトの岡本真也が和田一浩のFA移籍による人的補償で西武に移籍してしまったことに対して、「中継ぎの評価が低すぎる。