川島 亮
東京ヤクルトスワローズ No.17
基本情報
出身地千葉県千葉市稲毛区
生年月日1981年9月9日(26歳)
身長
体重180cm
79kg
選手情報
投球・打席右投左打
守備位置投手
プロ入り2003年 自由獲得枠
初出場2004年4月4日横浜戦(神宮)
年俸4,000万円(推定)
経歴
千葉経大附高校
八戸大学
ヤクルトスワローズ・東京ヤクルトスワローズ(2004 - )
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手(投手)。右投げ左打ち。背番号は松岡弘、川崎憲次郎が付けていたエースナンバーの「17」。その番号が示す通り、スワローズのエース候補と目される本格派右腕である。千葉県千葉市稲毛区出身。爽やかで端正な顔立ちで女性ファンも多い。
目次
1 人物
2 来歴
3 エピソード
4 通算成績(2007年シーズン終了時)
5 タイトル・表彰・記録
6 関連項目
7 外部リンク
//
人物
精度の高いコントロールとキレのあるカットボール、高速スライダーが武器であるが、ストレートも150km/h出るなど総合的な能力も非常に高い。右肩の不安こそあるものの、スワローズ投手陣の中でも屈指の好投手である。ただ、最近はストレートの球速を140km/h前後に抑え、制球を重視するピッチングに徹している。
相手の胸元を平気で投げ込む度胸の良さも持ち、先頭打者をほとんど出さないことでも知られている。好調時なら攻略は非常に困難となり得る。
また、ルーキー時に多かった被本塁打を翌年には半減させるなど、その野球センスは優れた野球理論をもつ藤井秀悟をも舌を巻くほどとも言われている。
2005年には広島東洋カープの野村謙二郎に2000本安打を打たれる。
スワローズ公式サイトのファンからの質問で、先発にはこだわりが無く「抑えをやれ」といわれれば明日にでもやるとコメントしている。(ただ一番投げやすいのは先発ともコメントしている)
千葉県出身であることから「マックスコーヒー」が大好物である。
千葉市立稲毛中学校1年時から北千葉ポニーに所属し、野球を始める。ちなみにチームOBに2007年度までチームメイトであった石井一久がいる。高校は千葉経済大学附属高等学校、大学は八戸大学に在籍。大学の同期に石川賢(現東北楽天ゴールデンイーグルス)がいる。また、南海キャンディーズの山里亮太は高校の先輩にあたる。
2004年
ドラフト会議|ドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団。前半はあまり内容がよくなかったが、中盤以降は防御率を向上させて先発の柱となり、後半には5連勝を記録して10勝に到達。文句なしで新人王に選出された。また開幕から読売ジャイアンツ戦での連敗を止めた。
2005年
右肩痛で出遅れたが、復帰後は29イニング無失点を記録し、2年目のジンクスを感じさせない好投を見せた。打線の援護に恵まれず2桁勝利にはあと一歩及ばなかったが、自己最高の防御率2.81を記録し、課題だった被本塁打も半減させた。また打つほうでも打率3割以上を記録した。しかし9月にまた肩を痛めてしまい離脱した。
2006年
5月に持病の右肩痛を再発して長期離脱となり、わずか9試合の登板で2勝に終わった。
2007年
シーズン後半になってようやく復帰し、4勝を挙げて復活の足がかりを得た。しかしオフに手術に踏み切り、2008年開幕には間に合わない見通しである。
エピソード
少年時代は千葉ロッテマリーンズのファンで、黒木知宏投手を尊敬している。そして清水直行投手と親交が深く、清水の「やるしかないねん」Tシャツを直々にもらったことがある(本人のブログより)。
大学3年時までファンでもあったロッテと相思相愛状態にありながら、その後川島が怪我をするとロッテが一時撤退。ヤクルトは川島が怪我をしていても熱心に密着し続け、その思いを川島が真摯に受け止めヤクルトを逆指名したという経緯がある。
2005年5月13日のロッテ戦で勝利投手になった際、インタビューで「ロッテファンとして、ロッテに勝てて嬉しい」など、ロッテファンであることを強調しすぎたため、後で父親に「お前は今はヤクルトの選手なので、あまりロッテファン、ロッテファンと言うな」と怒られた(本人談)。
試合を作っても援護点にあまり恵まれず、1失点や2失点で敗戦投手になることが多い。
毎年のように怪我に泣かされ続けており、今日に至るまで思うような成績を挙げられていないのが現状である。
特に広島戦には相性が悪く、セリーグの中では通算防御率、敗戦数ともにこのカードがワーストである。
上記のように素晴らしい能力がありながら、度重なる怪我や援護点の少なさなど、かつてヤクルトのエースだった伊藤智仁に似ていることが多い。