川口 和久
基本情報
出身地鳥取県鳥取市
生年月日1959年7月8日(49歳)
身長
体重183cm
82kg
選手情報
投球・打席左投両打
守備位置投手
プロ入り1980年 ドラフト1位
初出場1981年4月10日中日戦(ナゴヤ)
最終出場1998年10月3日広島戦(東京D)
経歴
鳥取城北高等学校
デュプロ
広島東洋カープ(1981 - 1994)
読売ジャイアンツ(1995 - 1998)
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
川口 和久(かわぐち かずひさ、1959年7月8日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は野球解説者。鳥取県鳥取市出身。
目次
1 来歴・人物
2 年度別投手成績
3 経歴・タイトル・表彰
4 エピソード
5 著書
6 現在の出演番組
7 関連項目
//
吉岡温泉で食堂を経営していた家の、男ばかり三兄弟の末子として生を受ける。鳥取城北高校時は速球派投手として注目されるが、夏の甲子園・春のセンバツにはともに縁がなかった(ただし2年時(1976年)に明治神宮野球大会に出場した経験はある)。3年時の1977年にロッテオリオンズからドラフト6位指名を受けるが拒否し、社会人野球チームのデュプロに入団。その後1980年のドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され、プロ野球選手となった。
入団2年目の1982年にプロ初勝利を挙げ、翌1983年から先発ローテーション投手として定着。球威のある速球と落差の大きいカーブを武器に三振の山を築き上げ、1987年、1989年、1991年と最多奪三振のタイトルを3度獲得するなど、北別府学、大野豊らと共に1980年代の広島『投手王国』の一翼を担った。しかし制球に難があり、シーズン最多暴投を記録したこともある他、かつては通算暴投数のセ・リーグ記録保持者でもあった。また広島時代は「巨人キラー」としても活躍。対巨人戦で30勝以上している投手のうち、勝ち越しを記録している選手は星野仙一、平松政次、そして川口の三名のみである。
1995年、広島球団初となるFA権を行使し、読売ジャイアンツへ移籍。広沢克己、ジャック・ハウエルらとの33億円補強で話題となる。移籍当初は全盛期並みの活躍ができずファーム暮らしが続いていたが、当時の宮田征典2軍投手コーチにリリーフ転向を打診され、リリーフ投手に転向。以降一軍に定着し、1996年のセ・リーグ優勝時には胴上げ投手となった。
1998年シーズン終了後に現役を引退。その後はTBSや中国放送で野球解説者を務めるかたわら、プロ野球マスターズリーグ札幌アンビシャスの投手としても活動。またタレントとしてテレビやラジオに出演したり、趣味である競艇の解説も行ったりするなど、様々な方面で多彩な活躍を見せている。2005年12月8日、故郷・鳥取県に社会人野球チームの「鳥取キタロウズ」が設立され総監督に就任したが、居住地の関係で解説者業との両立が困難となり、2007年2月に辞任が発表された。
年度球団背番号登
板完
投完
了当
初完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
l
ブ打
者投
球
回安
打本
塁
打与
四
球与
死
球奪
三
振暴
投失
点自
責
点防
御
率
1981広島3470200001044118350120775.73
19821512101045030169.257134150323151.93
198333141184015100920218.2189231048166287712.92(3)
198424511710860522123.111016593104564584.23
198531511620990627143.215015622116473704.39(13)