船島(巌流島)
海峡ゆめタワーから撮影した巌流島
座標 ⇒北緯33度55分58秒
東経130度55分50秒
面積0.103km?
海岸線長1.6km
最高標高--.-m
所在海域瀬戸内海
(関門海峡)
所属国・地域日本(山口県)
表・話・編・歴
⇒ウオッちず ⇒Google Map 巌流島
巌流島(がんりゅうじま)は山口県下関市にある、関門海峡に浮かぶ小島(無人島)。正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、現在もその住所は「下関市彦島大字船島」である。
目次
1 歴史
2 観光
3 交通
4 脚注
5 外部リンク
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宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたといわれていることで有名。当時は豊前小倉藩領の船島であったが、佐々木小次郎が「厳流」(「岩流」とも)を名乗った[1]ことから巌流島と呼ばれるようになった。なお日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年(1612年)4月13日(グレゴリオ暦では5月13日)に行なわれたとされるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』 享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあるなど、決闘時期には諸説あり、実際は不明である。
昔はすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉も名護屋から帰阪途中にここで乗船が転覆、毛利水軍によって助けられたと言われている。このとき責任を取って船と運命を共にした艦長・明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には『与次兵衛ヶ瀬』と呼ばれたという。
岩礁は大正年間、往来する船の増加と大型化に伴い爆破処理されたが、この部分も併せて三菱重工業によって埋め立てられ、現在の巌流島の一部となった。この埋め立てによって、もともと1万7千平方メートル程度であった島の面積は約6倍の10万平方メートルに広がった。第二次大戦後島に移住者があり、一時は30軒に達したが、再び減少し、1973年には無人島に戻った。近年、狸が生息しているという。
1987年10月4日には、この島でアントニオ猪木とマサ斎藤によるプロレスの試合(時間無制限ノールールマッチ)も行なわれている。
2003年に公園として整備された。これは同年放送されたNHKの大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の放映にあわせたもの。公園として整備される際に宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像が建立されたが、小次郎の像は小次郎ゆかりの地である岩国市[2]出身の彫刻家・村重勝久の作で2002年12月に建立、武蔵の像は公募により廣瀬直樹のデザインを採用。決闘の伝説になぞらえたかのように[3]小次郎の像から遅れて2003年4月に建立された。
5月の連休時のしものせき海峡まつりでは、巌流島フェスティバルのイベントとして、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現などが行われる。
島内は禁煙。飲食は禁止されていないがゴミを回収する施設がないため各自で持ち帰ることになる。
交通
下関港(唐戸)、門司港より関門汽船が運航。また、関門海峡の遊覧船もこの島に寄港する。
[ヘルプ]
^ 決闘の相手については、そもそも「岩流」の名が先にあり「佐々木小次郎」という姓名自体が後からつけられたものだとする説もある。宮本武蔵#巌流島を参照のこと。
^ 大河ドラマの原作となった吉川英治作「宮本武蔵」では佐々木小次郎が周防国岩国出身として描かれている。なお、実際の小次郎は豊前国(福岡県)あるいは越前国(福井県)出身とする説が主流である。
^ 決闘の際、宮本武蔵が遅れて到着し佐々木小次郎を待たせたとされている。
外部リンク
⇒巌流島(しものせき観光ホームページ内)
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