岸 信介
(きし のぶすけ)
第56・57 代
日本国 内閣総理大臣
在任期間1957年2月25日
- 1960年7月19日
生年月日1896年11月13日
出生地出生地:山口県吉敷郡山口町(現・山口市)
本籍地:山口県熊毛郡田布施町
出身校東京帝国大学
学位・資格・称号正二位大勲位
法学士
前職衆議院議員
自由民主党幹事長
外務大臣
自由民主党総裁
世襲の有無家族・親族参照
選挙区旧山口2区
当選回数衆10回
党派自由民主党
没年月日1987年8月7日
岸 信介(きし のぶすけ、1896年(明治29年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月7日)は、日本の農商務官僚、政治家。第56、57代内閣総理大臣。正二位大勲位。
目次
1 生涯
1.1 青年期まで
1.2 農商務省時代?満州国時代
1.3 東條内閣の閣僚時代
1.4 戦犯容疑者から復権まで
1.5 岸内閣誕生
1.6 六十年安保騒動
1.7 日韓国交回復
1.8 中華民国・台湾・蒋介石との関係
1.9 晩年
2 略年譜
3 メモ
4 栄典
5 家族・親族
6 系譜
7 資料館・旧宅
8 脚注
9 関連人物
10 関連項目
11 参考文献
11.1 著書
11.2 その他
12 外部リンク
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山口県吉敷郡山口町(現・山口市)に、山口県庁官吏であった佐藤秀助と茂世夫妻の第五児(次男)として生まれる(本籍地は田布施町)。信介が生まれた時、曽祖父の信寛もちょうど山口に来ており、早速“名付親になる”といって自分の名前の一字をとって「信介」という名が付けられた[1]。3歳のころ一家は田布施に帰郷し、造り酒屋を営む。中学3年の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となった。
旧制岡山中学に学んだが、2年生になったばかりの頃、松介叔父の肺炎に依る急逝に会い山口に戻り、旧制山口中学(戦後の山口県立山口高等学校)に転校。岡山中学では10番前後だったが山口中学では首席だった。
1914年(大正3年)、中学を卒業すると間もなく上京し、予備校に通い受験準備の生活に入った。しかし勉強より遊びぐせの方がつきやすくなり受験勉強そっちのけで、しばしば映画や芝居を見に行ったりした。このため第一高等学校の入学試験の成績はビリから2、3番目だった[2]。
高等学校から大学にかけての秀才ぶりは様々に語り継がれ、同窓で親友であった我妻栄、三輪寿壮とは常に成績を争った。
1917年(大正6年)、東京帝国大学に入学。大学の入学試験はドイツ語の筆記試験だけで、難なく合格した。大学時代は精力を法律の勉強に集中し、ノートと参考書のほか一般の読書は雑誌や小説を読むくらいで、一高時代のように旺盛な多読濫読主義ではなく、遊びまわることもほとんどなかった[1][3]。