岡崎一明(おかざき かずあき、1960年10月8日 - )はオウム真理教元古参幹部である。ホーリーネームはマハー・アングリマーラ。
目次
1 概要
2 起訴された事件
3 坂本堤弁護士一家殺害事件における役割
4 公判
5 逸話
6 注釈
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産まれてすぐに養子に出された。
山口県立小野田工業高等学校計測科卒業後、計測会社に就職。しかし、長続きせずに職を転々とし、1986年9月、オウム真理教の前身であるオウム神仙の会に出家し、オウム出版の営業責任者として、オウム出版の発行する書籍を販売しながら、修行を続け、1987年7月、石井久子についで信徒の中で二番目の解脱者とされて、教団幹部の地位に就いた。犯行時の姓は養子先の佐伯であったが、教団を離れた後に、実家の岡崎姓を名乗る。その後、公判中に養子縁組をし、宮前に改姓した。
男性信者殺害事件、坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、それらで起訴されている。1990年に麻原彰晃が真理党を結成して出馬しているときに、当時の妻(現在は離婚)とともに、教団の金を3億円持ち逃げしようとしたが、金は早川紀代秀らによって取り戻される。この後、坂本堤弁護士の息子の遺体を埋めた場所の地図を警察に匿名で送るなど、坂本堤弁護士一家殺害事件の証拠をちらつかせながら麻原を脅し、1,000万(既に持ち逃げしていた170万円を含む)を得る。
その後、学習塾を経営していたが、地図を警察に匿名で送った件について事情聴取を受け、そこで坂本堤弁護士一家を殺害した事を自首し、岡崎の示した場所から坂本堤弁護士の遺体が発見されたため、1995年9月6日に逮捕される。
起訴された事件
男性信者殺害事件
坂本堤弁護士一家殺害事件
1989年11月3日の朝、麻原に命令されて他の5人の実行犯とともに坂本堤弁護士の住んでいた横浜市磯子区洋光台のアパートへ向かう。それぞれ役割分担をして待ち伏せていたが、祝日であるために坂本堤弁護士は家にいたのだが、そのことを彼らはオウムでの修行生活で忘れていた。そこで、岡崎が麻原の命令もなくアパートの鍵を調べて、施錠されてなかったことを知る。早川を通して麻原に知らせると、深夜に家族しかいなかったら家族ごと殺害しろと命令される。岡崎がもう一度調べて施錠されていなかった事から、岡崎らは午前3時頃に坂本堤弁護士一家殺害を遂行。その後、一家の遺体をそれぞれ別の場所に遺棄した。
坂本堤弁護士一家殺害事件は、岡崎の自首により、オウムの犯行だとわかったために岡崎の自首は成立したが、岡崎が自首する機会があったにもかかわらず、なかなか自首しなかったこと、自首の動機が罪の意識からではなく脱走した教団から自分の身を守るためであったことから自首による刑の軽減は適用されずに、死刑の判決が出る。その後、控訴審も上告審も棄却されたため、2005年4月7日にオウム真理教事件において、一番初めに死刑が確定した人物である。
ホーリーネーム授与時に、麻原から「お前のホーリーネームはダイバダッタかアングリマーラしかない。どちらにするか自分で決めろ」といわれたという[1]。「ダイバダッタ」や「アングリマーラ」は、仏弟子ではあるが問題のある経歴の持ち主の名である。これが事実としたら、この時点で麻原は岡崎の人間性に疑念を抱いていたことになる。
注釈^ 大泉実成『麻原彰晃を信じる人びと』 ISBN 4-89691-202-0 P181。
表・話・編・歴オウム真理教
教団の人物麻原彰晃 - 松本知子 - 石井久子 - 上祐史浩 - 村井秀夫 - 青山吉伸 - 新実智光 - 早川紀代秀 - 遠藤誠一 - 飯田エリ子 - 大内利裕 - 都沢和子 - 井上嘉浩 - 岐部哲也 - 石川公一 - 林郁夫 - 中川智正 - 土谷正実 - 大内早苗 - 林泰男 - 岡崎一明 - 富永昌宏 - 富田隆 - 端本悟 - 広瀬健一 - 豊田亨 - 中村昇 - 横山真人 - 渡部和実 - 北村浩一 - 外崎清隆 - 杉本繁郎 - 平田信 - 高橋克也 - 菊地直子 - 中田清秀 - 鹿島とも子 - 村岡達子 - 石井紳一郎 - 二ノ宮耕一 - 野田成人 - 杉浦茂 - 杉浦実 - 荒木浩 - 松永英明