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山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年7月27日 - 1974年1月11日)は、劇作家・小説家である。本名は山本勇造。呉服商の子として、現在の栃木市に生まれる。
目次
1 略歴
2 『破船』事件
3 著作
3.1 小説
3.2 その他
4 文学碑
5 関連項目
6 外部リンク
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高等小学校卒業後、父親の命で一旦東京浅草の呉服商に奉公に出されるが一度は逃げ出して故郷に戻る。その後、母親の説得で再度東京に戻る。正則英語学校、東京中学に通い、1908年(明治41年)東京府立一中を卒業。1909年(明治42年)9月一高入学。一高を1年落第を経て卒業し、東京帝国大学独文学科に入る。在学中から「新思潮」創刊に参加し、卒業後、1920年、戯曲『生命の冠』でデビュー。真実を求めてたくましく生きる人々の姿を描いた。一高時代落第後に同級となった菊池寛・芥川龍之介らと文芸家協会を結成し、内務省の検閲を批判する一方、著作権の確立に尽力した。だが、昭和に入ると、1934年(昭和9年)に共産党との関係を疑われて一時逮捕されたり、『路傍の石』の連載中止に追い込まれるなど軍部の圧迫を受けた。その一方で近衛文麿と親交(一高留年前の学年で同級)があり、1941年(昭和16年)には帝国学士院会員に選ばれるなどその立場は複雑であった。
戦後は貴族院勅撰議員に任ぜられた。自らが極度の近眼であったことからルビと漢字を憎悪し、国語国字問題に取り組み、「ふりがな廃止論」を展開したことでも知られる。憲法の口語化運動にも熱心に取り組んだ。1947年に第1回参議院議員通常選挙では全国区1位で当選。1953年まで6年間、参議院議員をつとめて緑風会の中心人物となり、政治家としても重きをなす一方で積極的な創作活動を行った。1965年、文化勲章受章。
東京都三鷹市に、山本有三記念館がある。また、栃木県栃木市には、山本有三ふるさと記念館がある。
漱石門下の久米正雄と仲が悪く、久米が漱石長女筆子の愛を巡って松岡譲と争ったいわゆる『破船』事件の際には、久米を陥れようと企んで、久米を女狂い・性的不能者・性病患者などと誹謗中傷する怪文書を、筆子の学友の名を騙って夏目家に送りつけた一面があった。怪文書の筆跡は明らかに女性のものだったが、有三が起草した文章を夫人に清書させたと久米も松岡も筆子も考えていた(関口安義『評伝松岡譲』小沢書店、1991年)。
小説
『生きとし生けるもの』(『朝日新聞』1926年9月25日〜12月7日未完)
『波』(『朝日新聞』1923年7月20日〜11月22日)
『風』(『朝日新聞』1930年10月26日〜1931年3月25日)
『女の一生』(『朝日新聞』1932年10月20日〜1933年6月6日中断)
『真実一路』(『主婦之友』1935年1月〜11年9月)
『路傍の石』(『朝日新聞』1937年1月1日〜6月18日(『新編 路傍の石』は『主婦之友』1928年11月〜1940年7月未完。新潮社「新潮文庫」、1980年、ISBN 4101060096)
など
その他
『心に太陽を持て』(新潮社「新潮文庫」改版版1981年、ISBN 410106010X)-児童向け読み物。歴史上の人物等の、心に残る話を集めたもの。