山本七平
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山本 七平(やまもと しちへい、1921年12月18日 - 1991年12月10日)は、山本書店店主。評論家
目次

1 経歴

1.1 年譜

1.2 受賞歴

1.3 イザヤ・ベンダサンとの関係

1.3.1 山本による説明

1.3.2 山本死後の扱い



2 思想

3 評価

3.1 具体的な批判


4 主要著書

4.1 日本人の行動原理について考察したもの

4.2 自らの軍隊経験を中心に述べたもの

4.3 評伝

4.4 中国古典に関するもの

4.5 コラム・時事評論

4.6 聖書・キリスト教関連

4.7 その他

4.8 全集

4.9 イザヤ・ベンダサンの著作


5 参考文献

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

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経歴


年譜

1921年12月18日東京府荏原郡三軒茶屋(現在の東京都世田谷区三軒茶屋)で、クリスチャンの両親(山本文之助、八重)の間に長男として生まれる。名の「七平」は神の安息日(日曜)生まれから命名される。兄弟姉妹は姉2人と妹1人。父方のいとこおばの夫は玉置酉久(大石誠之助の次兄)。

1937年青山学院教会洗礼を受ける。

1942年9月、太平洋戦争中のため、青山学院専門部高等商業学部を21歳で繰り上げ卒業する。10月、第二乙種合格で徴兵され、陸軍近衛野砲連隊へ入隊。その後、愛知県豊橋市の豊橋陸軍第一予備士官学校に入学する。

1944年5月、第103師団砲兵隊本部付陸軍砲兵見習士官(のち少尉)として門司を出航、ルソン島における戦闘に参加。1945年8月15日、ルソン島北端のアパリで終戦を迎える。同年9月16日、マニラの捕虜収容所に移送される。 1947年、帰国。

1956年、世田谷区の自宅で聖書学を専門とする出版社、山本書店株式会社を創業する。のち山本書店は新宿区市ヶ谷に移転。

1970年イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』を山本書店より発売する。

1979年、大平内閣の諮問機関「文化の時代」研究グループの議長を務める 。

1984年、中曽根内閣の諮問機関「臨時教育審議会」の第一部会専門委員を務める 。

1991年膵臓癌により自宅で死去した。遺骨の一部はイスラエル散骨された。


受賞歴

1973年、第35回文芸春秋読者賞受賞

1981年、第29回菊池寛賞受賞

1989年、和歌山県文化表彰にて文化賞受賞



イザヤ・ベンダサンとの関係


山本による説明

当初『日本人とユダヤ人』の著者ではないかと言われることについて、山本は「私は著作権を持っていないので、著作権法に基づく著者の概念においては著者ではない」と述べる一方で、「私は『日本人とユダヤ人』において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも否定したことはない。」とも述べている。(山本七平「ベンダサン氏と山本七平氏」『実業の日本』1977年10/1(1899号)49-50頁)

後に、1987年のPHP研究所主催の研究会では以下のように説明している。山本書店を始めた頃に帝国ホテルのロビーを原稿の校正作業にしばしば使用していたら、フランク・ロイド・ライトのマニアということがきっかけでジョン・ジョセフ・ローラーとその友人ミンシャ・ホーレンスキーと親しくなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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