山形藩(やまがたはん)は、羽前国(旧出羽国)村山郡山形(現在の山形県山形市)に居城(山形城)を置いた藩。
目次
1 概要
2 藩史
3 文化
4 歴代藩主
4.1 最上(もがみ)家
4.2 鳥居(とりい)家
4.3 保科(ほしな)家
4.4 松平(まつだいら)〔越前(えちぜん)〕家
4.5 松平(まつだいら)〔奥平(おくだいら)〕家
4.6 奥平(おくだいら)家
4.7 堀田(ほった)家
4.8 松平(まつだいら)〔越前(えちぜん)〕家
4.9 松平(まつだいら)〔奥平(おくだいら)〕家
4.10 堀田(ほった)家
4.11 松平(まつだいら)〔大給(おぎゅう)〕家
4.12 天領
4.13 秋元(あきもと)家
4.14 水野(みずの)家
5 大森藩
6 朝日山藩
7 関連項目
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もとは外様大名の最上氏が治めたが、後に幕府重職から失脚した幕閣の左遷地となり、親藩・譜代大名の領主が12家にわたって頻繁に入れ替わった。
山形藩は、関ヶ原の戦いで徳川側に就いた武将最上義光が置賜郡を除く山形県全域と秋田県の一部を支配し57万石(実高100万石を超えるとまで云われた)を有した。しかし、元和8年(1622年)3代藩主最上義俊の代に最上騒動と呼ばれるお家騒動から近江国大森藩に僅か1万石をもって転封となる。
同年、鳥居忠政(鳥居元忠の子)が22万石をもって新たな領主となった。2代忠恒は寛永13年(1636年)嗣子なく病没し改易となった。のち、忠恒の異母弟忠春が信濃国高遠藩に3万石で鳥居家を継ぎ立藩している。
3代将軍家光の時、高遠藩より保科正之が20万石に加増され山形藩に移封されるが、7年後の寛永20年(1643年)23万石で陸奥国会津藩に移り会津松平家となる。
その後、正保元年(1644年)越前松平家の松平直基(結城秀康の四男)が越前国大野藩より15万石で入封。直基は慶安元年(1648年)播磨国姫路藩に転封した。
同年、同地より奥平松平家が入封、寛文8年(1668年)下野国宇都宮藩に移封。
同地より奥平家が入封。2代在封し貞享2年(1685年)再び宇都宮へ転封。
下総国古河藩より堀田正仲が入封。堀田家は大老・堀田正俊の暗殺を受けこの地に左遷された。1年弱在封し翌貞享3年(1686年)陸奥国福島藩に転封となった。
豊後国日田藩より松平直基の子、直矩が入封するが元禄5年(1692年)には陸奥国白河藩に転封した。
代わって再び奥平松平家が白河藩より家臣の紛争により左遷された。同家は元禄13年(1700年)には備後国福山藩に転じている。