山城国
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山城国 (やましろのくに) は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、畿内に位置する。現在の京都府南部にあたる。別称は城州(まれに山州とも)、雍州延喜式での格は上国山城国位置図
目次

1 歴史

2 一宮、国分寺など

3 郡

4 守護

4.1 鎌倉幕府

4.2 室町幕府


5 山城守

6 関連項目

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歴史

「やましろ」は、古くは山代と書き、7世紀に山背国という表記で国が建てられた。延暦13年(794年)11月8日の平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から、山城国に改称した。

平城京時代の木簡を見る限り、山代国、山背国と表記は並存しているようである。

国府は、和名類聚抄に、河陽離宮。

拾芥抄では、乙訓郡、府と記載されている。

節用集(易林訂正);奥書 跋末「慶長ニ<丁酉>易林誌」に、乙訓郡、府と記載されている。

守護所は、当初、山城国守護京都守護が兼任していたため、京都守護の御家人の館が当てられた。その後、六波羅探題が兼務するようになり、守護所も六波羅となった。室町時代に山城国を宇治川を境に上三郡と下五郡に分割して、それぞれに守護代を任ずるようになってからは、上三郡の守護所が宇治槙島に置かれ、下五郡の守護所が淀など数ヶ所に置かれた。


一宮、国分寺など

国分寺は、僧寺と尼寺ともに相楽郡にあった。恭仁宮大極殿が746年に僧寺とされた。882年に焼失。その後再建されるが衰退する。鎌倉時代には平等院末寺となっていたようである。場所は現在の木津川市加茂町にあたる。1925年大正14年)に国分寺のそばで大量の古瓦が発掘され、尼寺の跡だと考えられている。

延喜式神名帳には、大社53座37社(うち名神大社23座16社)・小社69座59社の計122座96社が記載されており、他に宮中の36座(大30座・小6座)、京中の大3座が記載されている。

一宮京都市賀茂神社北区賀茂別雷神社(上賀茂神社)及び左京区賀茂御祖神社(下鴨神社))である。山城国の一宮指定には、地方の諸国と異なって神祇官が関わっていると思われ、11世紀末から諸国でそれぞれに一宮が成立していく中で、畿内ではそれに対応して12世紀になってから決められたと考えられる。二宮以下は存在しない。総社は不詳である。




乙訓郡

葛野郡

愛宕郡

紀伊郡

宇治郡

久世郡

綴喜郡

相楽郡


守護


鎌倉幕府

〜1221年 - 京都守護兼任

1221年〜1333年 - 六波羅探題兼任


室町幕府

1353年〜1384年 - 侍所兼任

1385年〜1386年 - 山名氏清

1389年 - 赤松義則

1389年〜1390年 - 山名氏清

1390年〜1391年 - 赤松義則

1391年 - 山名氏清

1392年〜1394年 - 畠山基国

1394年〜1399年 - 結城満藤

1399年 - 京極高詮

1399年〜1402年 - 結城満藤

1402年〜1403年 - 畠山基国

1404年〜1416年 - 高師英

1418年〜1421年 - 一色義貫

1421年〜1423年 - 京極高数

1424年〜1428年 - 京極持光

1428年〜1433年 - 畠山満家

1433年〜1434年 - 畠山持国

1434年〜1436年 - 一色義貫

1436年〜1439年 - 赤松満祐

1440年〜1441年 - 山名持豊

1441年〜1447年 - 京極持清

1447年〜1449年 - 一色教親

1450年〜1455年 - 畠山持国

1455年〜1460年 - 畠山義就

1460年〜1463年 - 畠山政長

1464年〜1468年 - 山名是豊

1474年〜1478年 - 山名政豊

1478年〜1483年 - 畠山政長

1486年〜1490年 - 伊勢貞陸

1493年〜1507年 - 伊勢貞陸

1508年〜1518年 - 大内義興

1518年〜1531年 - 細川高国

1532年〜1549年 - 細川晴元


山城守

藤原棟世

小畠虎盛

斎藤道三


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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